Focus notes

幸せに生きるためには、戦略的コミュニケーション技術が必要なのです。

人生をデフォルトで生きるか、デザインして生きるか

今日、はるか昔にClipしていたLifehack系の海外サイトの記事を読んで、頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。

 

その記事は、あなたの人生をデフォルトでいきるのか?デザインしていきるのか?と問いかけていた。

 

デフォルトの人生とは、その他大勢の後に続く道で、デザインの人生とは、あなただけの人生だと。

 

人や環境に左右される部分の大きな人生。監獄のルールに従ってさえすれば、それなりの満足が与えられる可能性が高い人生。

 

飯を食う為に生き、子を授かり、何とか社会に送り出し、定年退職まで運良く勤めあげることができたとしても、年金需給開始までの期間、コンビニでアルバイトしたりしながら食いつなぐ、僕らの世代のデフォルトの人生。

 

人生をデザインすると考えてみると、目的は飯を食う事では無くなる。目的があり、夢があり、計画があり、アクションがあり、一貫性がある。それがデザインの人生だ。

 

デザインを考えるときには、自分に向き合わなければならない。自分は何に意義を感じ、楽しい、快いと感じるのか?

 

昔勤めたイケイケベンチャーのイケメン社長の「俺、カッコ良く生きたいんだよね~」という言葉に、当時は憤りを感じた。

お前のかっこいいを実現するために、何人の仲間がうつになったり、体こわしたりしてると思ってんだよ!ふざけんなって。

 

でも、ある意味彼は正しかったんだ。彼なりのデザインの人生だったのだ。彼のデザインの中に、従業員は仲間として描かれていなかっただけだ。

 

じゃあ、僕は40を超えて、どのような人生をデザインするのか?現実的には、ジャニーズには入れないし、マイケルジャクソンのバックダンサーになることも出来ない。

 

でも、僕には僕の人生をここまで生きてこなかったら手に入れることの出来なかった事がある。上手く使えば資産。使わなければ廃棄物。ならば、上手く生かして、○○を実現するんだ!

 

この○○に何が入るのか?

 

僕は、病と貧困と争いを無くしたい。

目的であり、夢だ。

では、どのように?だな、考えるべきは。

真剣に計画し、アクションを一貫して積み上げて行こう。

 

このブログもいつまでもデフォルトという訳にもいかないな!(笑)

 

 

経営とは結局、組織体のエネルギーをマネジメントすることに尽きる。

冷静になって考えると、家庭においては私は経営者だったのだ!!であれば週末の行動は失策の結果じゃねーか!!と我に返って冷や汗がとまらない雑談課長です。

 

大前提:人も組織も、放っておけば荒廃する

これは、自然の法則だと思うのですが、適切な”お世話”をしなかった場合、人も組織も、そのパワーは失われ、熱量は下がると思います。

人でいうと、飯を食わせる。風呂に入れる。しっかり休める寝床を用意する。などで、組織の場合ですと、コミュニケーションを取る機会を用意するなどでしょうか。

いずれにせよ、ポジティブなエネルギーを持って「坂を登る」状態をつくる必要があります。登れる体力・動機・意欲に満ちている状態ですね。

 

経営者の仕事は、デザインである。

デザインと言ってしまうと、また言葉の定義がややこしいので、仕組みづくりと置き換えてしまいますが、ポジティブなエネルギーで組織を充たすには、そもそもポジティブなエネルギーとはなにか?について、理解しておかなければなりません。

 

思いつくとこでいうと
金銭的報酬 ・・・ 継続ではあがらず、総額し続けなければならない
やりがい ・・・ 感謝がわかるように伝えられているか?
責任感 ・・・ 強みをFeedbackできているのか?
連帯感 ・・・ 我々の課題という認識、仲間意識はあるか?

あたりでしょうか?

これらのような、エンジンは多いに越したことはありません。
少なければひとつひとつのパワーが必要になります。
また、組織のエネルギーの総量を見誤ると、成果がでなくなりますので、
どのような施策を施せば、エネルギーが高まるのかを企画する必要があります。

 


組織体のエネルギーが弱いと起きること。

組織体のエネルギーが弱いと、組織はそもそも荒廃しやすいので、ネガティブなエネルギーに引っ張られるリスクが高まります。調子が悪い時の踏ん張りが効かないですし、責任の押し付け合いになることもしばしば発生します。

 

そして、ここで家庭問題登場

組織という単位であれば、家庭も同じように考えることができることに気が付きました。
いかに組織(家庭)をポジティブなエネルギーで充たすことができるか?を僕はデザインしなければならなかったのです。

 

やっちまいました。


金銭的報酬 ・・・ 費用対効果の高い施策を心がける(TPO)
やりがい ・・・ 「感謝」を伝える回数を増やす(=質ではなく、量が肝要)
責任感 ・・・ 褒める文化をつくる
連帯感 ・・・ 問題の指摘ではなく、共同解決する


こういうことで、組織を満たして置かないので、壊れそうになるんですね。

子供達も大きくなり、ステークホルダーが増えていますので、しっかりと舵取りして参りたいと反省しております。

 

 

 

 

 

全てを失っても、それは何かを得る為だ

今日は妻と大喧嘩。一言でいうとATMの癖に生意気言うな!と言われたようなものです。雑談課長です。

 

僕は後悔している事がたくさんあります。

それは、自分の思いを大切にする事を知らないまま、結婚をし、子供を持ってしまった事です。

 

アラフォーになってようやく、ここまで自分を押し殺して生きてどうすんだ?ってことに気付いたんです。

 

人を尊敬する気持ちには、自分を尊敬する気持ちも同じように含む必要があるんだと、ようやく気付きました。

 

もし、子育て中の人で、たまたまここを見た人がいたら、「人はあなたの道具ではない。動かしたければ、納得させろ。怒りや無視で他人をコントロールしようとしては行けない。」とお伝えしたいです。

              

      

仕事力をブーストする

15時に部下からコンビニ羊羹を差し入れされ、お腹が鳴っていたのを気付かれていたか!!と、びっくら仰天の雑談課長です。

 

最近、自分の仕事力が下がっている不安があり、Boostしないとマズいな~と感じていましたので、今月は、毎日90分間のBoostタイムを設け、それ以外は自分の作業をしないことに決めました。

 

今日が初日だったのですが、やはり制限をかけることで、かなりの効果がありましたので、閑散期には使えそうです。繁忙期にやっちゃうのは勇気がいります。

 

90分しか実務やらないと決めると、アウトプットが自分以外でもさほど変わらない物については、お断りする事になります。

 

期間をかけて引き継ぎするようなイメージですね。でも、決心してよかったです。

 

 

 

 

事業には理念があり想いがあることに敬意を払う

真面目モードに入っとります!雑談課長です。

 

前回、機を待つ事と、捨てることを書き込みましたが、絶対に捨ててはいけないものがあります。

 

それは、他人に対する敬意です。

どんなに駄目駄目な人でも、誰かの子供です。その人がその年になるまで、誰かの期待や愛を受けて生きて来ているのです。

 

僕は、その「人」に対する敬意、感謝、そういったものを失ってしまったら、もはや、その人は人では無いと考えます。

 

今日、先日棄却した「新任取締役のオリエンテーション用資料」が再度上がって来ました。中身は相変わらずスッカラカンです。

 

会社の沿革、理念の意味、上位顧客、主要なパートナー何一つ掲載されていません。

事業を営んでいれば、誰かに助けられた場面、迷惑をかけたことなど、知っておくべき歴史があると思うんです。

 

良い悪いは別にして、今の日本の環境があるのは、戦中戦後必死に生きて命をつないでくれた先人たちのおかげだと僕は思います。

 

事業も、おなじです。誰かの頑張り、迷い、不安、活躍、貢献があったからこそ、存続出来ているのです。その歴史を知る事で、株主、顧客、取引先、従業員、地域社会などのステークホルダーに対して、真摯に向き合う事が出来るのでは無いでしょうか?

 

僕はこのような「感謝する思い」「敬意」今風にいうと「リスペクト」は、絶対に捨ててはならないと思います。

 

キレイゴトです。でも、このような誠実さを捨て、数字だけを見ていると、東芝の経営陣のようになってしまうのだと思います。

きっと彼らには、現場で汗を流している営業マンや、議論を重ねている技術者に対する感謝の気持ちは無かったと思います。

 

口先だけの感謝は、有るかも知れませんけどね。

 

さて、この話の結末はどうなるでしょうか。すんなりとアレが通ってしまうようならば、うちの会社には明るい未来は無いと思います。

 

みものやー

時流を読み、波に乗る

スピリチュアルではないですよ

これは正しいのかどうかわかりませんが、運というか、流れというものは、存在すると思います。

おそらく、あらゆる変数が絡み合って読み解くのは難しいものの、明らかに物事が進むときと、何をどう頑張っても上手くいかない時があります。

 

私はちょっと前まで川底にいましたが、腐らず自暴自棄にならず、なんとか耐えました。

まだ、逃れきれてはいませんが、負の遺産も片付けることが出来ました。

 

苦しい時に歯を食いしばって力を溜め、波が来たら一気に乗る。

これを確実に繰り返す事が、使命を果たすための道なのではなかろうかと思います。

 

生産性を高めるために

これだけは何とかしないと!と必死で取り組んで来た事。冷静に見つめてみると、思い通りに進んだところで、たいした成果を生まないものもあります。

私の場合は、自分たちで興した会社とコーポレートガバナンスへの取組みがこれに当たります。

おそらくは、真剣に取り組む事で、自分を成長させるという意義はあったかも知れません。

しかしながら、事業パートナーは未だに現実を見ず、夢想の中にいます。また、コーポレートガバナンスの取り組みも、形だけ整えて終結とするみたいです。

 

やる気がない人を説得して動かすより、手放して他の仕掛けをする。生産性を飛躍的に高めるためには、やらないことを決めることが必要です。

 

エゴを捨てると流れが見える

思うように事が運ばない時、エゴに支配されていると、焦りからかスピードを求め、ついてこれない周りを「しょーもない」と感じるようになります。

しかしながら、エゴを捨て、変わらない現実をありのままにとらえると、落ち着いて対処するとこが出来ます。

 

車線変更も楽々です。

 

見えない明日には備えられない

上手くいかない不安な時には、明日へと備えたくなりますが、見えてない明日に備えることは出来ないのでは無いでしょうか?

そして焦ってスピード狂になる。

 

正しい対処は、感覚を研ぎ澄まし、今、目の前の事を、ひとつひとつクリアにしていく。

自分は何を実現したいのか?

チャンスがあれば、摘まんでみてください。焦らず時期をみて収穫すればいい。

 

石を投げ、波紋が広がるのを待てば良い。

今、まさにその事を実感しています。

 

柿の実が熟すのは、待つしかない。様子を見て、収穫の準備をしながら待つ。

 

待つ間、イライラしていたら時間の無駄なので、何か他の種を蒔けばいい。

 

そんなことを考えてました。

 

 

 

政治的解決とは先延ばしではないのか?

北朝鮮状勢気になりますね。

うちの経営陣は、誰一人何にも気にしてませんし、財務課長も何にも気にしてません。

つえーな。雑談課長です。

 

今日は、政治的解決とは先延ばしではないのかと思っていたのですが…という話です。

 

私は、常日頃から、政治的解決という奴が大嫌いでして、議論を尽くして意志決定すべし。と考えて来ました。

 

しかしながら、これもTPOですし、起業においては風土であり、動かせないということも良くわかりました。

 

先延ばしではなく、風土であるのならば、このスピード感に違和感がある自分。

自ら見いだした結論は、外に出るという事です。

しかしながら、おちんぎんを欠いてしまうとまたカネの為に仕事をする事になってしまうので、改善提案を自らするのは止め、部下のトレーニングだけ行い、調査や資料作成等の時間を空けることで定時退社出来るようにし、ベンチャー起業のIPO支援をボランティアでやろうと思います。

 

ま、くれるお金なら貰いますけどね(笑)

 

とりあえず2社会おうと思い、アポ取りました。