Focus notes

幸せに生きるためには、戦略的コミュニケーション技術が必要なのです。

生きる意味とは何か?

現実的に世の中を観てみる。

中国に飲み込まれる香港

現在、犯罪者を香港から中国に移送する条例案をめぐって、香港で若者達が超大規模なデモを行っている。

現実的に考えると、彼らは細心の注意を払ってやっているものの、「暴徒」という括りにすべく政治側は動いていて、暴力で鎮圧されてしまうだろう。

次は台湾。その次は北朝鮮、韓国。

中国はおそらく小さい国を飲み込み続けるだろう。

日本は安泰か?

全く安泰ではないだろう。これから超少子高齢化社会を迎えるのだ。国を守る力などどこにあるのか?

移民を受け入れまくって、若年層を増やしたとしても、彼らは戦争がはじまれば逃げるだけだ。若者達もそうだろうな。

日本はかつてのユダヤ人のように、世界中に散るしかないだろうが、それもまたアリだ。

現実的な未来

そうなっては欲しくないけれど、現実的に考えるならば、我々は生き残りをかけて、世界で商売できなければならない。そうしたときに必要なのは、英語か中国語ということになる。我々は、インディアン達と同じ運命をたどる。

彼らはネイティブアメリカンと呼ばれるが、我々はネイティブジャパニーズになるのだ。

オーストラリアのアボリジニとおなじ。

きっと中国からの移民二世達が日本の経済も政治も牛耳るだろう。

備えよ!

では、我々はどうすればいいのか?

食うための備えがいる。備えとしては、言語、普遍性のあると思われるビジネススキル、人間力みたいなものを磨くことだ。

どう考えなければならないかというと、ゼロになっても、また這い上がれる準備をしておくのだ。

とても難しい話のように思えるが、その理由は自分の中の「惰性」にあるだけだ。

気合いで勉強をはじめるのではなく、日常生活に「備え」を組み込んでいくのだ。

そう。受験生のように。

 

 

明晰に考えるということ

私自身の知識量の問題なのか、自分の頭の中の考えを正確に伝える為の語彙が足りなくて、誤解を与えてしまう場面が多々ある。

 

例えば、監査の過程における「虚偽回答」について。私の中では、故意によるものであれ、過失によるものであれ、事実と反する回答=虚偽回答であり、これに基づいて監査意見を考察する事など出来ないと考えている。

なぜなら、この回答は嘘いつわりなのだから、何の意味もない。

 

これについて、多いに揉めた。

もしかすると、問題はあるけれども、影響はないと言うことではないのか?など、因果関係をめちゃくちゃ拡大解釈した意見が出されたりしたのだ。

 

なぜならば、虚偽回答をした人間は、親会社からの出向部長であり、同じ親会社からの出向者である社長がこれを庇ったのであろう。

いわゆる情状酌量の余地という奴だ。

これに対して、事実を述べて反論したところ、思わぬ方向に話がズレたのである。

 

それは、虚偽回答だと言葉が強いので、事実とは異なる回答と表現を改めて欲しいとの要請だ。

いや、同じ事なんですけど?

と思ったが、どうやら違うらしい。

虚偽という表現を使うと、故意で嘘をついたというニュアンスになる。らしい。

え?

は?

はぁ。

 

故意なのか、過失なのか?という話はしてないんだけどな…と思ったのだが、そうではないらしい。

 

そこまで掘りたいなら、掘るよ?

 

彼は、マネジメントを機能させる能力がない事について、自覚しており、この具体的な証拠を突きつけられた際に、虚偽回答をする事で、事実をうやむやにしようとしたのである。

虚偽回答により、監査人が問題を問題ととらえ損なうという結果を期待して、そのリスクを十分に認識したうえでとった行動なので、これは、故意の虚偽回答である。

 

帰責性については、今回問題にしてないよ。と言えるべきであったのに言えなかった。

反省である。

 

冷静に考えるとヤバイこと

2020年からプログラミングって必修になるんだってね。そうすると、2030年には中学からずっとプログラミング学習をしていた子達が社会にでてくる。

 

まあ、英語も同じで、全く喋れない奴もいるけどさ、でも、ちょっとだけ優秀なやつは、プログラム組めて当然になる。

 

アラフォーの私が社会にでた頃、おじさん達は指1本でパソコン触ってて、書類のレビューをお願いすると、「プリントアウトして

持って来い!」とかいわれてた。

 

あと、あらゆる資料がExcel方眼紙だったなぁ。

正直、面倒くさかった。

 

でも、今度はこっちが面倒くさがられる番だ。嫌だね。面倒くさがられてたまるもんか。

 

真面目に恐ろしいのは、今、何にも仕事出来ないハンコ押すだけの上司の下で、残業もつかないのに、業務全部押し付けられてるアラフォー課長陣だよ。

 

たぶんだけど、今のハンコ部長連中が定年退職したら、下の世代が昇進して、俺らは早期退職要員だよ。真面目に。

 

まだギリギリ間に合うと信じて、すでにある未来に備えないとだね。

 

 

 

 

その場しのぎ文化

現実を直視し、課題を明確にしつつ、タスク抽出を行い、課題を解決する。

もちろん、課題は重要なものである必要はあるが、このように振る舞う人がいる一方で、自分の責任にならないようにという一点だけで立ち回り、他人の責任追求は嬉々としてやる。

自分に刃が向きそうなときは、言い逃れの余地を残すことに長けている人がいる。

 

外資も同じかも知れないが、日本的企業においては、後者の方が重用されがちだ。

 

自分が経営トップになったことがないので、どういうことなのか皆目見当がつかない。

 

ただ、そんな人生糞くらえだ。

金がどれだけあろうと、意味がない。

日没を見ながらCreedを聞くと人生をリセットしたくなる

人って流されるよね。雰囲気に。

知ってるならどうすればいいかって?

それは、

フルパワーで行ける環境を作る

若かりし頃、一生懸命やれない奴と一括りにされるのが、むちゃくちゃ嫌いだった。

だから、周りの雰囲気に流されずに、自分らしく生きるには、どうすればいいか?ってばかり考えていた。

まあ、厨二病ってやつね。

そのせいなのか、どんな環境であろうとも、勝てる方法はあるし、諦めたらそこで試合終了だわっ!って固定観念カッチコチになってしまっていた。

この環境とか、関係ないわっ!って考え方はヤバイので、今まさにそんな中にいる人は、早く目覚めて欲しい。取り返しがつかなくなる前に。

環境が合ってないなかで、気力でがんばると、気力の半分くらいは、我慢や怒りで消費されてしまう。そして、周りの環境悪化中に流されてる連中と自分を比較してしまうので、わりといけてんじゃんと勘違いし易いのだ…。

これ、厳し目にいうと、世の中の流れや社会の変化に基づいた自分なりのビジョンを持ち、トレンドとなる環境を予測して、積極的に流されに行くという努力を怠るな!ということなのである。

耐えるより流れを作る

リクルートの旧・社訓?で、「自ら機会を創りだし、機会によって自らを変えよ」という言葉があるらしい。

これ、私は少し勘違いしていた。

本当は、「自ら機会を創りだし…とはいったものの、いい機会が創れる分野をちゃんと調査してトレンドをちゃんと読めよ!ゼロからトレンドを生み出すのはむちゃくちゃ効率悪いし、能力いる。すでに生まれてる大きなうねりの中に自分が乗れる機会をつくるのだよ。さらに機会によってしか、自らを変えるのは難しい。つまり、自ら機会を創ろうとしないことは、怠惰でしかない。」だったのだ。

愚痴るより手を打つ

今の環境に○○がない。経営者に当事者意識がない。とか、部長クラスに危機感がない。とか、ほんと、どーでもいい。

その愚痴をこぼしている暇があったら、自分が次やってみたいことがどうやったら実現できるか?そのためには何をすべきか?課題として捉え、タスク抽出し、対応していった方がいい。

これを気力だけでやろうとすると、失敗しやすい。自分を流してくれる環境を作るのが一番いい。

詐欺師には注意ね

情報商材系のサロンとかは、これにあたるっぽくみえるけど、実際はたぶん効果がない。

なぜなら、流される方向が下だからだ。

教祖様に金を払ってセミナーを受けて勉強したきになれば安心。

これはヤバイ。

インプット進めてくるのは、大抵詐欺だな。

たぶん、高いアウトプットの集団に入って、やべー追いつかなきゃ!って自分で頑張る。っていうのしか、効き目ない。

自分の興味ある分野から少しかじり、追い込まれる環境をどう作るか自分で考え、情報商材クソヤローに騙されないように頑張ってみよう!

トレンドにある分野と古い分野の天と地の差

ちなみに、前職の半導体メーカーが血のにじむような努力の末作り上げる年間の粗利は、フィンテック企業の30%くらいでしかない。

 

 

無敵の人に思うこと

昨日、川崎で通り魔事件が起きた。

失うものが何もない年齢だけ中年の糞ガキが、未来のある小学校にダメージを与えた。2人も亡くなってる。

ひとりで勝手に死ねよ。って意見があるけど、うん、気持ちはわかるけどこういう奴は無理なんだよね。それ。

なんか、勝手な理論で正義のつもりでやってるか、たんなる性癖だと思うんだけど、たぶん子供の頃から全てを他人のせいにして生きてきたなれの果てだと思う。

今、就職氷河期時代の僕らは、35~45くらいだから、あと5年くらいで、町中には絶望中年が溢れることになる。

確かに就職氷河期は、天災みたいなもんで、何も悪いことしてないのに、大卒の働き口が無くなったけど、まあ、それとこれとはまた違う話なのだが、彼らは被害者ぶるのが心地よくてやめない。

中年は絶望

若い人達には絶対わからないと思うけど、アラフォーになるとありとあらゆる事に衰えを感じるんだ。

死のリアリティが半端ない。

そして、あー折り返したな。

残りの人生辛ぇなあ、もう死んでもいいかなぁ。

この感じ、昔はわからなかったけど、今は共感できる。

ここに妻がいたり、子供がいたり、両親が介護が必要だったり、ペットがいたりすると、「俺がしっかりしなきゃ!」と思えるんだけど、完全にひとりの人生だったら、踏ん張りが効かないかもしれない。

僕はなんでもかんでも自己責任だっていう世の中の風潮は好きではない。なぜなら、100%自己責任なんか有り得ないからだ。非難する対象と全く同じような人生を生きた上で、自己責任だ甘えだとか言うなら、それは言っていいと思うけど、恵まれた立場で、自己責任だ甘えだの言ってほしくない。

備えよ!

たぶん、この無敵の人たちはいつどう攻撃をしてくるか読めない。ただ、糞弱だから、弱者しか攻撃しないはず。そいつの人生と同じで、スライムとしか戦わないと思う。

ちょっとドラキーに挑戦してみたりすれば、開けたかもしれないのに、スライムベスにすら逃げて来た人達なので。

対処方法は、女子供の集団には中年は近づかせない。だよね。警備員以外。

警備員も中年はだめだな。

女子供をまともな人間で守りたいね。

50歳になったら、選民しても良いかも。

思想が許容できる範囲内に収まってるかどうかチェックする。

AIとかで自動判別して強制労働とかでもいいかもな。

電車の中で肩肘張ってまわりに迷惑かけるの大抵がおっさんだし。

 

 

 

本質的価値とは代替不可能性

物事の本質的価値とは何か定義しようと何故だか思いついてしまい、ずっと考えていたのだが、代替不可能性にあるのではないかという結論にたどり着いた。

簡単な問い

会社の後輩が、親会社の株主総会と、授業参観日が同日になってしまい、どちらに出席するかを悩んでいた。

 

こんなのは即答だ。

授業参観日に決まってる。まあ、これは、たぶん価値観によるのだけれども、なんか、上司の心証とかそういうのにかけがえがないと考える人は、仕事を選ぶだろうし、子供にとっての父親は自分しかいないという事実に向き合える人間なら、授業参観を選ぶ。

生物学的事実として

私がかけがえのない一人の人間としての価値を有することを保証してくれるのは、子ども達くらいか。彼女たちにとって、血のつながりがある父親は、私以外に存在しない。絶対に。

これは生物学的に普遍なのである。つまり、彼女たちの父親としての希少価値がむちゃくちゃ高いということだ。

妻とは?

では、妻にとっての私はどうだろう。現時点では、夫であるが、普遍性はない。代替可能性はある。残念だ。

しかし、夫婦として20年近く過ごした人間関係という意味では、代替可能性は限り無く低くなる。

ただこれも、なかなか定義が難しいものではある。なぜなら、結婚○年目から、もはやATMとしかみなしてなかった。という話になるならば、代替可能性がぐっと高くなる。

こちらはかけがえのない妻と考えていたけれども、相手はATMと考えている。という関係の場合はどうなるだろうか?

この場合は、こちらにとっての代替可能性が低く、相手にとっては、いつでも代替できる。ということになるか。

存在価値と利用価値

いや、なんかだんだん悲しくなってきたな。

いるだけで価値って思ってもらえるのは難しいよね。恋愛中の恋人同士でくらいしか成立しない。まあ、そこも、利用価値しか見いださない人いるけどね。

価値判断を他人に依存したらおしまい

こちらが感じる価値と他人の感じる価値は異なって当たり前で、その価値とは、代替可能性の有無による話してきた。

生物学的血のつながりだけは普遍だが、

TOKIO&中嶋みゆき的人生のオールを任せるなを実現するには、可変であるそれ以外を他人がどう評価してくれているかでなく、自分がどう感じるかに重きをおけば良いということであり、人生とは実にSimpleである。