Focus notes

幸せに生きるためには、戦略的コミュニケーション技術が必要なのです。

労働収入はW搾取

とても冷静に考えると、会社勤めなどで得る収入というのは、まず経営陣によって、本来発揮した価値よりも少ない給料として支給された上で、税金や社会保険、年金などでその約25%が持っていかれる。

その代わりに、安定感(安定ではなく、安定感であることに留意)を得ているのだ。

ここから、少しでも抜き出る為には、事業か投資をやらなければならない。

これ、大変のように思えるけど、やることが必須なのではないかと思う。

というのは、会社という組織に属していると、まあ、稼げる物やサービスを作るかマーケッティングするか、内部管理を固めるか資金集めるという機能に特化する事が出来る代わりに、他の機能の経験を積むことができない。

言わば、右手だけ。左手だけ。足首だけ。鍛える。みたいな状態なのだ。

必要は発明の母というが、まあ、追い込まれれば、その右手だけ。の力を生かして、何とか食うようにするんだろうけど、失敗しても良いような環境下で、練習したほうが、良くないか?

良く特化して伸ばすべき。色々やってる場合じゃない。みたいな批判を聞くけれど、月給と同額くらいの稼ぎを作れれば、特化すべき分野に投資する事もできる。

間違いない。おじさんは40超えて気付いたんだけど、なんとかこの考えが正しいことを確認したい!

コーポレートガバナンス体制は完全に整備完了したという大嘘

株主総会シーズン。表題のような事を言う経営者いたりすると思うけど、こういう事を発言する奴は大嘘つきだと覚えておいてほしい。粉飾決算も、まがいまではOKタイプだ。

まず、コーポレートガバナンス体制とはなんぞや?という話になるんだけど、広義のものと狭義のものとある。

例えば、取締役会と監査役会があって、リスク委員会とかそういうのがあって、あ、内部通報制度もあるよ!牽制出来る状態です!という形式的な整備。狭義のコーポレートガバナンス。まあ、こんなもんは頭全く使わなくても誰でも出来る事で、これをもって、「やりました」って胸はられても、あ、はい。としかならん。

次に広義のものがあって、戦略が立てられ、組織に周知され計画となり、リスクが管理され、コントロールが確実に実行されている。

取締役会の職務執行にかかる資料は、漏れなく保管されている。みたいな。

これ、完全に出来ている会社なんて、日本全体で十数社くらいだろう。

そして、もし、誠実にコーポレートガバナンスを重視しているならば、コーポレートガバナンスに「完了」とか「万全」なんて有り得ないし、内部管理体制の構築が完了した。なんて、言えないという事がわかるはずだ。

なぜなら、コーポレートガバナンスや内部管理体制の構築の中には、採用、育成が含まれるからだ。

採用の完了って?育成が万全な体制って?

方針を定め、試行錯誤の繰り返しちゃうんかい!!

 

 

 

気づいてしまった良いバランス!

実現出来るかどうかは全くわかりませんが、労働収入200万くらいと配当収入1000万くらいが良いバランスだと思います。

険しい山だけど、登る価値あり!

労働収入200万くらいでよければ、そのくらいしか出せない中小企業の支援も出来るしね。

それいいね。

伝え方が大事というけれど

経営者が従業員に「決定事項」を伝える際には、どのように解釈されるのかについて、細心の注意を払う必要がある。

なぜならば、よほど恵まれていない限りは、感じた不満や不信感についてのフィードバックは貰えないものだからだ。

現代の企業において、もはや、経営者と従業員の関係は、上下関係ではなくなっている。

優秀な従業員は、引く手数多であり、特に若年層についてはその傾向は顕著だ。

伝え方の問題というけれど

前段では、経営者を主語にして記述したが、伝え方の問題というやつは、上司部下の関係でも、先輩後輩の関係でも、同僚の関係でも発生する。

伝え方の問題としたが、不満や不信感を伴うものについては、基本的な考え方の問題だったり、姿勢の問題であるケースがほとんどではないだろうか?

「この程度の分析も満足にできないの?」

「やる気あんの?」

みたいな発言を耳にする事があるが、こういう時に、「あの人の伝え方には問題がある」みたいなフォローをする事があるが、これは伝え方の問題ではない。

上下関係にしろ、発注者受注者という関係にしろ、ある組織でのある時点における役割分担がそういう関係性であるだけで、本来は、それぞれ独立した個人である。

原則として、個人対個人の関係性であるならば、相応の配慮が必要だ。と考えている人であれば、相手に不快感を与えるような言動は慎むものだ。

関係性として自分が優位であれば、配慮が不要と考えてしまうような人だからこそのものである。

もちろん、首尾一貫しているのであれば、それはそれでいい。例えば政治家なんかは、選挙の時には腰を折り、丁寧に接するが、日常ではふんぞり返っていたりする。

神○川○区の○藤○一議員なんかは、選挙区の自治会の夏祭りではとても丁寧な対応をするが、防衛庁職員にはパワハラ、セクハラまがいの対応をしているというニュースがある。

さすがに、パワハラ、セクハラとなるとそもそもの人間としての質が低いと思うが、首尾一貫はしている。

最悪のタイプ

最悪のタイプは、優位な時は配慮ゼロで接してくるが、劣位な時は、配慮をしろと求めてくるタイプだ。

某○国の外交がこんな感じだね。どこの国とは言わないけれど。

人生最大の謎

このようなタイプの人と出会う度に謎なのだが、なぜ人は、他人に対してマウントをとろうとするのだろうか?メリットが全く無いにも関わらず。だ。

まあ、さすがに日本文化で育って来ているので、ある程度高齢者が、若者達に対して敬われるべきであるとは思うのだが、女子高生や妊婦に対して高圧的に接しているお年寄りとかを見ると、悲しい気持ちになる。

「70年以上生きてきて、この程度の見識しか持てない人生って…」

もし、世の中の人々が、配慮を旨として生活してくれればどれだけ過ごしやすいだろうか?

愚か者からは離れてみよう

こういう際の最善の手は、愚か者は存在する現実を直視しながらも、愚か者を自身の人間関係から排除?消去?する事だ。

会社の上司だとしたら、転職する。取引先ならば、営業しないか、転職する。同僚ならば、絡まないか、メールで済ます。

いずれにしても、エンプロイアビリティを高めておく必要がある。

奥さんだったら離婚すればいい。

そんなに簡単じゃないよと言うかも知れないが、自分自身が愚か者でない限りは、愚か者のいない人生の方が望ましいし、思考停止せずに、実現する方法を考えた方がいい。

配慮出来る人は孤独にはならない

会社でも、地域でも、配慮ができる人は孤立無縁になることはない。誰かが必ず手を差し伸べてくれる。なぜなら、そのような人との関係性は気持ちがよいからだ。

もし、あなた自身が孤独を感じているようであれば、個人対個人としての最低限の配慮を日常的に出来ているか?を問うて、自らを改めた方が良い。

 

 

 

 

生きる意味とは何か?

現実的に世の中を観てみる。

中国に飲み込まれる香港

現在、犯罪者を香港から中国に移送する条例案をめぐって、香港で若者達が超大規模なデモを行っている。

現実的に考えると、彼らは細心の注意を払ってやっているものの、「暴徒」という括りにすべく政治側は動いていて、暴力で鎮圧されてしまうだろう。

次は台湾。その次は北朝鮮、韓国。

中国はおそらく小さい国を飲み込み続けるだろう。

日本は安泰か?

全く安泰ではないだろう。これから超少子高齢化社会を迎えるのだ。国を守る力などどこにあるのか?

移民を受け入れまくって、若年層を増やしたとしても、彼らは戦争がはじまれば逃げるだけだ。若者達もそうだろうな。

日本はかつてのユダヤ人のように、世界中に散るしかないだろうが、それもまたアリだ。

現実的な未来

そうなっては欲しくないけれど、現実的に考えるならば、我々は生き残りをかけて、世界で商売できなければならない。そうしたときに必要なのは、英語か中国語ということになる。我々は、インディアン達と同じ運命をたどる。

彼らはネイティブアメリカンと呼ばれるが、我々はネイティブジャパニーズになるのだ。

オーストラリアのアボリジニとおなじ。

きっと中国からの移民二世達が日本の経済も政治も牛耳るだろう。

備えよ!

では、我々はどうすればいいのか?

食うための備えがいる。備えとしては、言語、普遍性のあると思われるビジネススキル、人間力みたいなものを磨くことだ。

どう考えなければならないかというと、ゼロになっても、また這い上がれる準備をしておくのだ。

とても難しい話のように思えるが、その理由は自分の中の「惰性」にあるだけだ。

気合いで勉強をはじめるのではなく、日常生活に「備え」を組み込んでいくのだ。

そう。受験生のように。

 

 

明晰に考えるということ

私自身の知識量の問題なのか、自分の頭の中の考えを正確に伝える為の語彙が足りなくて、誤解を与えてしまう場面が多々ある。

 

例えば、監査の過程における「虚偽回答」について。私の中では、故意によるものであれ、過失によるものであれ、事実と反する回答=虚偽回答であり、これに基づいて監査意見を考察する事など出来ないと考えている。

なぜなら、この回答は嘘いつわりなのだから、何の意味もない。

 

これについて、多いに揉めた。

もしかすると、問題はあるけれども、影響はないと言うことではないのか?など、因果関係をめちゃくちゃ拡大解釈した意見が出されたりしたのだ。

 

なぜならば、虚偽回答をした人間は、親会社からの出向部長であり、同じ親会社からの出向者である社長がこれを庇ったのであろう。

いわゆる情状酌量の余地という奴だ。

これに対して、事実を述べて反論したところ、思わぬ方向に話がズレたのである。

 

それは、虚偽回答だと言葉が強いので、事実とは異なる回答と表現を改めて欲しいとの要請だ。

いや、同じ事なんですけど?

と思ったが、どうやら違うらしい。

虚偽という表現を使うと、故意で嘘をついたというニュアンスになる。らしい。

え?

は?

はぁ。

 

故意なのか、過失なのか?という話はしてないんだけどな…と思ったのだが、そうではないらしい。

 

そこまで掘りたいなら、掘るよ?

 

彼は、マネジメントを機能させる能力がない事について、自覚しており、この具体的な証拠を突きつけられた際に、虚偽回答をする事で、事実をうやむやにしようとしたのである。

虚偽回答により、監査人が問題を問題ととらえ損なうという結果を期待して、そのリスクを十分に認識したうえでとった行動なので、これは、故意の虚偽回答である。

 

帰責性については、今回問題にしてないよ。と言えるべきであったのに言えなかった。

反省である。

 

冷静に考えるとヤバイこと

2020年からプログラミングって必修になるんだってね。そうすると、2030年には中学からずっとプログラミング学習をしていた子達が社会にでてくる。

 

まあ、英語も同じで、全く喋れない奴もいるけどさ、でも、ちょっとだけ優秀なやつは、プログラム組めて当然になる。

 

アラフォーの私が社会にでた頃、おじさん達は指1本でパソコン触ってて、書類のレビューをお願いすると、「プリントアウトして

持って来い!」とかいわれてた。

 

あと、あらゆる資料がExcel方眼紙だったなぁ。

正直、面倒くさかった。

 

でも、今度はこっちが面倒くさがられる番だ。嫌だね。面倒くさがられてたまるもんか。

 

真面目に恐ろしいのは、今、何にも仕事出来ないハンコ押すだけの上司の下で、残業もつかないのに、業務全部押し付けられてるアラフォー課長陣だよ。

 

たぶんだけど、今のハンコ部長連中が定年退職したら、下の世代が昇進して、俺らは早期退職要員だよ。真面目に。

 

まだギリギリ間に合うと信じて、すでにある未来に備えないとだね。