楽しく生きることが最重要だ。時間は待ってはくれない
長すぎた会議のあと、
「俺?何やってんだろ?」という虚無感を感じずにはいられない。雑談課長です。
30代の頃に比べると、体力が落ちては来ているものの、物事の勘所を掴むことは
格段に上達していて、意味のある会話が出来る相手がはっきりと分かるようになる。
仕事が出来るできないではない。若手でも、とてもユニークな着眼点を持っていたり、
圧倒的な行動力があるメンバーの話は、聞いていてこっちも刺激を受けるし、
楽しいと感じることが出来る。
会議の場を凌ぐためだけに作成された統計データを読み上げるだけの報告につきあうのも
たまらない物がある。
人が何に「楽しさ」を感じるかは、人それぞれである。
私の考える楽しさの押し付けは駄目だとはわかるけれども、虚しい。
私は、仲間と協力しながら、ドンドンと成果を出していくことが楽しい。
そうすると、チームの中に「やらない人間」がいると楽しくない。
でも、これは「私のわがまま」でしかない。
2:6:2の法則から言えば、チームの中に2割は働かない人間がいるものだ。
これを許すか許さないかだが、程度問題。
私に権限がない中で、これをつぶすために頑張るのは、それはそれで楽しくない
もっと「人間」を勉強しなければならない。
以前、元上司に
「世の中には、能力がない人というのもいるのだ。彼らは彼らなりに作戦を立てて、
責任は負わなくとも高額な報酬と地位を手に入れ、それをKeepしようと必死なのだ。
機会自体が少ないのだから、保身については全力でかかってくる。
もし、彼らを排除したとして、君に何の利があるのだ?
そんな生産性の低いことをやっているほど、人生は長くない。
自分の課題と他人の課題をちゃんと分けろ。」
と諭されて、はっとしたことがあったのを思い出した。
これは、感情と反応をわける訓練だ。
感情的には嫌なのだが、反応はしないことが選択できる。
私が確実に責任を持たなければならないのは、自分の人生のみ。
経営者が許すのであれば、それについて何も言うできではないだろう。
ダイバーシティー&インクルージョンとはそういうことなのか?
組織において、その組織への所属を運営者が認めているのであれば、駄目な奴もメンバーには入れなければならない。
海外の人間とともに働くと、多様な価値観がチームに存在することで、化学反応が生まれ、成長の機会が得られるのは間違いない。
しかし、これもダイバーシティー&インクルージョンなのだ。
私と彼らでは、大きな隔たりがある。
絶対に譲らないラインだけ引いておく(撤退ルール)ことは有用。
私の場合は、誠実性と倫理観と人へのリスペクトの有無だ。
判断はシンプル。価値観の親和性と人間的魅力の有無の2軸で考える。
・価値観が似ていて、人間的魅力がある方とは、パートナーとして関わる
・価値観が違って、人間的魅力がある方とは、メンバーとして関わる
・価値観が似ていて、人間的魅力がない方は、導く
・価値観が違って、人間的魅力がない方は、距離を置く
少なくとも、シンプルな判断基準の運用で、ムダなイライラを防ぐことは出来るであろう。
さて、いわゆる「上期」も明日で終わりだ。私は半期分の成長ができたのだろうか?
収入はちょっと上がったが、状況は悪化している。
先日立てた戦略を実行し、状況を変えなければならない。
視座を上げ、目的を達成するのだ。