Focus notes

幸せに生きるためには、戦略的コミュニケーション技術が必要なのです。

自己中心ではない自分最優先

私達は子供の頃から「周りに迷惑をかけるな」「人の嫌がることをするな」と育てられ、自分最優先にする人を「自己中」と非難し、ジャンプでも時代劇でも、みんなのために戦う正義が最後に必ず勝つ。そんな社会で育てられている。

 

しかしながら、現実はどうだろうか?まず、「正義」とはわかりやすいだろうか?そして戦う人達は強いだろうか?実際には、正義かどうかなんて全く関係なく、親や先人たちから多くを受け継いだ者が、最強の社会になっている。

 

例えば、某国から日本に働きに来た人に話を聞くと、同郷会のようなもので、日本での生活保護の受け方、海外に住んでいる親戚の名前をずらーっと書いて、保護金額の釣り上げ方を教わったという。(この行為への不正対策はもう済んでいるそうだ。)

 

私が仲良くしている大金持ちの息子も、一生遊んでも使いきれないほどの親の資産があり、仕事に身は入ってない。彼は真面目だけど、成果を出す事にこだわってはいない。

 

どんなに周りの人達に貢献し、ありがたがられようが、真面目な貧乏人は貧乏なまま。元気なうちは良いけれど、事故や病気で労働が出来なければ、瞬く間に生きていけないようになる。保険に入っているうちに自殺でもしたほうが、家族だけでも生き延びられるだけマシだ。

 

どこが正義が勝つなんだ?

 

しかしながら、自然界だってそうだ。草食動物は、肉食動物に喰われないように生きるしかない。そう考えるならば、生活保護の不正受給も、草食動物が肉食動物の隙を付いて生き延びるための知恵なのかも知れない。

 

研修生名目で留学生を奴隷の如く働かせてる悪徳経営者だっているのだ。

 

アニメでは、悪の組織は滅びるが、現実では、悪を滅ぼす事など出来ないのだ。

 

人に与えられたら時間は限られている。限りある人生を何に使うのか、つまり、「自分は何を最優先にするのか?」については、真剣に考えなければならないのだ。自己中ではない。自分に与えられた人生をどう使うかを、自分の価値観最優先に定義するんだ。

 

中途半端だと、今までの私のようになる。

こんな話をする先輩と私は30代前半で出会いたかった。