リーダーとマネージャーと評論家
当社の内部監査室長は、素晴らしいマネージャーだ。部下や他部門の平社員を上手く使って、成果を積み上げていく。
しかしながら、彼のマネジメントの対象に部下の育成が含まれておらず、彼の部下は処理能力は高いが、自分の意見を持たないし、判断が出来ない。
私の元上司は卓越したリーダーだ。未知の領域の仕事にも臆することなく挑戦し、部下は切り開かれた道を追従していく。
しかしながら、彼の切り開いた道は、完全に整備されておらず、部下たちは部下たちなりに考え、クリアしていかなければならない。
現在の私の上司は、的確な評論家だ。課題はよく理解しており、事象の分析は独自性に溢れ、語る改善策は示唆に富んでいる。
が、交渉力が弱く、人を動かせず、優先順位を上手くつけられないため、オールオアナッシングの提案しかできない。
おそらく、企業や事業内容、規模によって必要とされるものは異なるのだろう。
いや、異なっていたのだろう。
現在。リーダー以外は有り得ない。マネージャーが活躍出来るのは、入社3年未満のスタッフの育成だけだ。評論家は、社内にはいらない。
世の中の競争力の決定要因は大きく変わってしまったのだ。
ナレッジワーカーが活躍出来なければ、競争には勝てない。
共同体験がなければ、暗黙知は伝達されず、対話がなければコンセプトは生み出せない。
コンセプトが不明瞭な状況では、システム化は進まず、あらゆる事項が実行されない。
次の会社では、どんな人と働く事になるだろうか?私はもはや私の人生を生きており、共同体験と対話を求める面倒くさい人間だ。
昔と違うのは、少しだけ人間として成長したおかげで、感情コントロールが出来るようになり、少しだけズル賢くなり、人を動かす方法のバリエーションを身につけた。
止まっていた時計がどれだけのスピードで動き出すか、ワクワクが止まらない。