親は無くとも子は育つ
僕には3人の子供がいる。それぞれそれなりに大きくなってきて思うのは、親はなくとも子は育つものだということだ。
当たり前の違い
SNSでアメリカやフィリピンやカナダの友達とおしゃべりをするって、当たり前だろうか?
僕らの世代では、当たり前ではないが、子供達の世代では、「別に普通」らしい。
そんなに頻繁にやりとりしてないらしいが、コミュニケーションのきっかけは、インスタに写真を上げた時で、メッセージはGoogle翻訳を少しまともに直すらしい。
写真の編集、動画編集、主に使う検索ツールなど、僕らの当たり前と、彼らの当たり前は全く異なるのだ。
僕らの親世代
まあ、そりゃそうか。僕らだって、僕らの親世代とはずいぶん違う当たり前の中で生きている。海外旅行のハードルは大きく下がったし、仕事とPCは切っても切れなくなった。
結婚適齢期は遅くなり、2人以上子供がいる家庭は大きなハンディキャップを背負わされる(ある意味独りっ子政策をやっている)。
親の当たり前と僕の当たり前も大きく違う。
振り返ってみると孝行息子(それなりに)
親には大学入学のために、上京して以来ほとんど迷惑はかけてない。
あまり実家には帰っていないが、一応孫の顔も見せた。
逆の立場からすると、そんなもんでいい。
僕は薄情なのだろうか?
うちの両親からしてみれば、高校卒業したら東京に出て行ってたっきり帰ってこない息子。うちの子供たちは、海外だろうか?
それもいいだろう。楽しく過ごせよ、君達の人生をと思う。
中学卒業までが親の務めだなこれは
現代は高校生だろうが、稼ごうと思えば稼げる。だから、子供たちに義務教育を受けさせるまでが親の務めだと思う。
その後の支援は、親の趣味みたいなものだな。
賛否両論あるとは思う。