Focus notes

幸せに生きるためには、戦略的コミュニケーション技術が必要なのです。

美学を持って生きる大切さ

惰性でただ生きているのと、目標を持って生きるのでは、その時間の過ごし方は大きく代わる。

あなたは日々、何のために生きているのか?

食い扶持を稼ぎ出すために、必要最低限の処理をこなし、同僚と一杯やりながら愚痴話に花を咲かせ、金も無いからとダラダラと土日を過ごして老けていく。

紅白歌合戦を見ながら、あー今年ももう終わりかと。去年と同じ年末を過ごす。

休みのために働く

プライベートを充実させるために、儲ける。ありがちな生き様だ。

だが、こんな風に考えている教師に我が子を預けたいだろうか?

必要最低限のクオリティでいいやー。そう考えている大工さんに、自分の家を建てて欲しいだろうか?

品質検査に合格するレベルで…そう考えている工員に自分の車を作って欲しいだろうか?

みんながみんな、休みの為に働くのが正しいのならば、こんな姿勢で十分なんだ。

プロフェッショナルであれ

僕は、プロフェッショナルとして、自分の仕事に誇りをもって、誠実に取り組んでいる人間の成果物に包まれて生活をしたい。

であるならば、自分もそうでなければならないと思う。

内部監査という仕事でプロフェッショナルとして、価値を発揮する!というのは、これ、なかなか難しい所がある。

成果物の価値が直接お客様に届くことはなく、経営者に届くのだ。

もし、経営者が、「コーポレートガバナンスっていうけど、そんなもんじゃ飯なんて喰えないよ」という考えであれば、精魂込めて作成した内部監査報告書も、単なる紙屑でしかない。

それでも神々はみている

それでも、自らの専門性と誠実性と倫理観にかけて、紙屑を誇りを持って作成し続けなければならない。

もちろん、コーポレートガバナンスや、リスクマネジメントの有用性や必要性を説きながらではあるが、ともすれば紙屑とわかりながらも、懸命に働きかけ続けるのがプロフェッショナルというものだ。

仕事でもプライベートでも、関係ない。

どう生きるか?という美学を持って、その美学にどれだけこだわれるか。

自己満の世界にも見えるが、感じるべきは、「それでも神々は見ている」という感覚なのだと思う。