Focus notes

幸せに生きるためには、戦略的コミュニケーション技術が必要なのです。

勉強との向き合い方

勉強とはなんだ?

知って、試して、繰り返して、身につけて、伝えることだ。

なぜ、伝えるまでが含まれるのかというと、人間の種としての強みが、社会を形成する事に秀でているからだ。

つまり、勉強とは、知ったことを伝えられ、自分にあうように調整し、それをまた誰かに伝えるというチェーンの事だ。

そして、ここで疑問が沸き起こる。

例えば、男性が学んだことは、伝えられても女性には有効なものにはならないのでは?

全く正しい。

となれば、北国出身と南国出身でもそうだし、身長が高いやつと低いやつでもそうだし、親がお金持ちか?兄弟はいるか?健康か?視力は?筋力は?記憶力は?...etc

組み合わせれば、無数の組み合わせが生まれる。

目に見えるものでそうならば

先ほど上げた例は、全て目に見えたり、数的に表現できるようなものばかりだ。

考え方の癖や性格、度胸、何に喜びを感じるか?みたいなものを上げはじめると、もはや、完全に一致する人間なんて、存在しなくなる。

では、勉強する意味なんてないじゃないか?と思ってしまいがちだが、そうではない。

なぜなら、いくつかの失敗パターンを学び取る事が出来るからだ。

いや、むしろ失敗パターンを学び取る為に勉強をすると言っても過言ではない。

勉強には、「試す」が含まれる

思い出して欲しい。僕は冒頭に勉強を定義したが、そこに、「試す」を加えていた。

知識を詰め込んで、それを吐き出すのは、勉強とは、言えないのだ。

大学入試のための勉強なんて、勉強とはいえないのだ。

確かに、東大卒の人の方が賢いような気がするが、東大をでたものの、不幸な人なんて腐るほどいるし、稼げてない人も腐るほどいる。

彼らは記憶することや、問題を解くことには長けていたのかもしれないが、試すこと、失敗すること、失敗から自分に合う方法を見いだすこと、それを誰かに伝えることには長けていなかったということだ。

なぜ試さなければならないのか?

これは、目に見えない特性を人それぞれが持っているからだ。

例えば、視力が悪くメガネがなきゃ生活出来ない人は、試すまでもなく宇宙飛行士になることは実現が難しいと知る事ができる。

ならば、ロケットを作る側や、軌道計算をする側で、宇宙開発に関わろう!という進路を修正する事が出来る。しかし、目に見えない特性での向き不向きというのは、試して見なければわからないのである。

人間が無意識で、してしまう判断は、全体の約9割と言われている。

無意識だ。

これは、試してみるしかない。

自分ルールでコントロールする

幸いな事がある。

無意識の判断という自分の特性は、なんとコントロールする事が可能なのである。

何によってコントロールするかと言えば、意識である。

なにがあっても絶対に守る自分ルールを作るのだ。

例えば、夜重要な判断をしないために、朝、判断するための時間をとる。みたいな事だ。

こうやって、試して得た知見から作り出した自分ルールを無意識に守れるまで繰り返して、有効だったものを人に伝える。

これが、勉強だ。

シンプルなたとえばかりで恐縮だが、慣れてくるともっと複雑な自分ルールを無意識で運用する事も出来るようになる。

僕が運用している自分ルールは、キレて話をしてくる年上の人もしくは上司が、さらに上の立場の人に対する忖度をしていたり、自己顕示欲からそうしている場合、一旦引いて謝罪をしておくべきだが、それで挽回すると正しかったんだ!みたいな変な勘違いをするようになり、不快な気分になることが増えて、自分自身のモチベーションが低下するから、仕事のアウトプットの質を落とす。である。

永遠の自分探し

少なくとも自分が今の自分に100点だよ!と思えないのであれば、勉強を続けるべきだ。

つまり、一生勉強ってことだな(笑)