Focus notes

幸せに生きるためには、戦略的コミュニケーション技術が必要なのです。

明晰に考えるということ

私自身の知識量の問題なのか、自分の頭の中の考えを正確に伝える為の語彙が足りなくて、誤解を与えてしまう場面が多々ある。

 

例えば、監査の過程における「虚偽回答」について。私の中では、故意によるものであれ、過失によるものであれ、事実と反する回答=虚偽回答であり、これに基づいて監査意見を考察する事など出来ないと考えている。

なぜなら、この回答は嘘いつわりなのだから、何の意味もない。

 

これについて、多いに揉めた。

もしかすると、問題はあるけれども、影響はないと言うことではないのか?など、因果関係をめちゃくちゃ拡大解釈した意見が出されたりしたのだ。

 

なぜならば、虚偽回答をした人間は、親会社からの出向部長であり、同じ親会社からの出向者である社長がこれを庇ったのであろう。

いわゆる情状酌量の余地という奴だ。

これに対して、事実を述べて反論したところ、思わぬ方向に話がズレたのである。

 

それは、虚偽回答だと言葉が強いので、事実とは異なる回答と表現を改めて欲しいとの要請だ。

いや、同じ事なんですけど?

と思ったが、どうやら違うらしい。

虚偽という表現を使うと、故意で嘘をついたというニュアンスになる。らしい。

え?

は?

はぁ。

 

故意なのか、過失なのか?という話はしてないんだけどな…と思ったのだが、そうではないらしい。

 

そこまで掘りたいなら、掘るよ?

 

彼は、マネジメントを機能させる能力がない事について、自覚しており、この具体的な証拠を突きつけられた際に、虚偽回答をする事で、事実をうやむやにしようとしたのである。

虚偽回答により、監査人が問題を問題ととらえ損なうという結果を期待して、そのリスクを十分に認識したうえでとった行動なので、これは、故意の虚偽回答である。

 

帰責性については、今回問題にしてないよ。と言えるべきであったのに言えなかった。

反省である。