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Focus notes

人材サービス+監査+リスクマネジメントで、本当に大切にすべきことが分かりました!

自らのスタイルを持つ事

スタイルやスタンスの生まれ方

よく「独自のスタイル」とか言われますし、「●●というスタンスで仕事に臨む」とかって言いますけど、いつ生まれるのか?とか、意識したことありますか?

 

僕は、ある程度こういうスタイルで行こう。とかスタンスでいこうというような事を決めて、自分の身にまとい続けて、ある程度の期間を経て生まれると思っていました。

 

突然後輩が語り出したぼくのスタイル

先輩は、アウトドア好きでカバンにこだわる派ですよね?

ある日、突然後輩に言われました。

ん…はい?誰かと間違えてない?

しかし後輩は、私が出張にいつも持っていっていたウエストポーチを見てそう思ったようなのです。

どんなものか紹介しようと探しましたが、もう存在しないようです。見つかりません。

 

そのウエストポーチというは、NIKE ACGというブランドのもので、約15年ほど前にどなたかに頂いたものです。財布とスマホとパスポートを持ち歩く際に、丁度いいサイズのものが他になく、新しいカバンが欲しいけど、優先順位は後だな~と思っていて、極端に言うと、嫌々使っているものでした。

 

また、

僕は新たに通勤カバンをコールマンさんのリュックに変えてしまいました。

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15年以上も昔のアウトドアブランドのウエストポーチを現役でこだわって使い続けて、最近のビジネスリュックの流行る1年ほど前から、アウトドアブランドのリュックを持ち歩いている。

そりゃ「アウトドア好きでカバンにこだわる派」だと思われますよね(笑) 

 

でも、自覚はゼロです。そんな気さらさらありませんでした。

むしろ変えよう、変えようと何度も思っていた矢先で、びっくりしました。

いわゆる、消極的選択の継続も、端から見たら、積極的肯定と特に差があるわけでは無いので、スタイルの表れになるんだと気づいた瞬間でした。

 

これ、凄く大事な気がします。

いつも人に合わせてそれなりのご飯を食べている人

職場の付き合いに誘われた時、気分が乗らなくても断れない人

継続していると、それは、いつの間にか、あなたのスタイルと認識されてしまいます。

 

では、スタンスはどうでしょう。

きっと、これも同じですね。仕事の仕方や振る舞い方にある一貫したものがあると、スタンス。と言われるようになる気がします。

 

僕は、取締役会にて意見を求められたら、相手が取締役だろうが、自分の意見をきっぱりと言うスタンスです。なので、最近、取締役会では、解説は求められますが、意見は発言させてもらえません(笑)

 

今日は、自らのスタイル、スタンスは、積極的肯定だけでなく、消極的選択であったとしても、できあかっていくものだ。という事について書きました。

 

最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

体調を壊し、大学生層満載の電車で通勤

学生さんたちの何気ない会話を聞いていると、私も、上京から25年。結婚生活16年。子育て生活15年。あっという間だったなーと感傷的になります。

 

あの時より、悩み事は減っただろうか?

→減ってない。

不満に思っていたことは、解決しただろうか?

→してない。

 

なんでやねん…という風に考えると、今が楽しめなくなっちゃいますね。

 

25年間でどれだけ世の中の役にたてたかな?これから定年まで23~8年で、どれだけ世の中の役にたてるかな?

 

おっと、そう考えると、がんばるぞ!とやる気が湧いてきますね。

 

今、この瞬間を、利他の気持ちで。

 

注)ただ、人事を尽くして天命を待つが基本ですので、戦略的計画と実行は必須ですよ。

事実と意見と空想と

ども。

 

思春期の娘の相談にのっていて、他の誰かにも伝えたいなーと思ったことをいくつか。

 

事の背景

娘からの相談は、

部活でも、クラスでも、生徒会でも明るく楽しい人物像を演じなければならないのが辛い。本当の自分って何なのか分からない。

という相談です。

 

むちゃくちゃ可愛くないですか?THE思春期!!って感じで。

 

ま、恐らくは、こういう系の悩みなんて、ふんふんそうなんだーそれはつらいねーとかって同調しつつ話を聞いてれば自ずと解決へ向かうのですが、とっとと整理したい人のために、書いていきたいと思います。

 

物事には事実と空想がある

私たちの身の回りに起きることは、大きく2つに分ける事が出来ます。

それは、事実と空想です。現時点という時間軸でいうと、事実は、変えようがなく、空想は自分自身の認識を変えることで変えることができます。

たとえば、気温。

現在、エアコンの温度が25度に設定されています。

これは事実。変えようがない。

暑いけど、女性が多い職場だから、このくらいの温度設定なんだろうな。

これは、空想。

だから、瞬間的に変えることが出来ます。

暑いけど、まだ朝だし。

これでも成立しますし、

そもそも、この設定温度を暑いと感じてる俺って、もしかしてデブ?

でも、成立します。

 

娘はどんな空想をしてるのか?

本当の自分が解らないって時は、人にどう見られるか?を意識し過ぎてて、無理をしてる状態ですね。

 

では、どうするか?

 

こういう時は、

人が自分をどう見ているかは、解らない(事実)

無理しないで過ごしたら、嫌われるのかも(空想)

自分は今の自分の在り方を居心地悪く感じてる(事実)

それは、嫌われるよりマシ(空想)

と、今考えてることを紙に書き出してみて、事実なのか空想なのかを整理します。

 

そして、空想部分を自分の都合の良いように書き換えて行くんです。

ただ、できれば、自分も周りも気持ちいいような空想にするのがベストです。

 

たとえば、

無理しないで過ごしたら、嫌われるかも

を、

どうせ他人の気持ちなんて、解らないんだから、゛楽しい゛が、合う人と過ごそう。そのために、自分が楽しい気分で過ごそう。

騒ぐ気分じゃないときは、読書でもしよう!

それは、嫌われるよりマシ

嫌われてるかも…とか心配する暇も無いくらいに、面白い事を探そう!

みたいに。

 

言うは易く、行うは難し

ま、こういうのは慣れが必要ですよね。直ぐに上手いことはいきません。

なので、練習が必要です。練習方法は簡単です。

日記をつける。です。

日記と言っても、ちゃんとしてなくてもOKです。思ったことをぶわーっと書いてみてください。

書き終わったら、事実にのみ、アンダーラインを引いて下さい。

そして、空想部分は、楽しい空想にしてみて下さい。

 

そのうち、しっくりくる空想が浮かんで来ますので、気に入ったらやってみて下さい。

 

ただし、全裸で出歩いたら楽しい!といったような空想は、全裸で出歩いたら法に触れて、最悪捕まる。という事実には負けますので辞めてくださいね。

 

人事を尽くして天命を待つ

今日、知覧の特攻平和会館に行って来ました。

出張先の大先輩方からは、涙無しにはいられないよ。と言われ、若い人達には、1回はいってほしい場所だとご案内頂きました。

 

展示物は、太平洋戦争末期の特攻隊員が残した遺書や手紙。ゼロ戦の機体や軍服など。

ほぼ全ての手紙は、17~23歳くらいまでの方々が書かれたもので、敵艦への特攻を成功させるという決意や、親兄弟、友人への感謝が綴られていました。

 

悲しみより腹立たしさ

僕は、これらの展示物を見ながら、悲しいという気持ちではなく、込み上げてくる怒りを抑えるのに必死でした。

戦略など皆無の作戦です。きっと、陸軍上層部のメンツやら下らないもので意志決定され、尊い命がムダにされたんだと思いました。

 

特攻隊員の方々の当時の想いや、お気持ちを考えると怒りのやり場がありません。

当時の社会の状況から、致し無かったのだとは思いますが、あえて犬死にだと思いました。

 

当時の大日本帝国は、神道を国教として、自国を神の国であり、いざという時には神風が吹くのだとか訳の分からない事を言っていたのでしょう。

 

神道は本当にそんな考え方なのでしょうか?僕は、頭の悪い上層部が悪意を持って神道の考え方を歪めて利用したようにしか思えません。

 

現在のISのように。北の将軍様のように。

 

彼らはイスラム教を利用しているのだと思います。きっと上層部には、戦略も理念もなく、権力や金、色、食などあらゆる欲にまみれているのではないでしょうか。

 

僕は、心根も頭も悪い人間が、うまいこと立ち回って権力を持つ事の恐ろしさを勉強させてもらったと思いました。最悪ってやつですね。

 

ただ、思うのは、なぜこのような『最悪』が生まれてしまったのでしょうか?

正直者や心の優しい者たちは、なぜ馬鹿をみたのでしょうか?指を加えて傍観していたのでしょうか?

 

僕は、そこに、『人事を尽くして天命を待つ』という姿勢が足りなかったのだろうと思います。

 

阿呆もしくは利己主義者に権力を持たさない。目に付いたら、ちゃんと権力をはぎ取らないといけません。

潰す必要はなく、権限を無くせばいいんですね。

 

僕はこれからも覚悟を持って、阿呆+利己主義から権力を剥ぎ取る。または、覚悟なき権力者を教育することに、人事を尽くして参りたいと思います。

 

 

 

 

 

25年続いているということ

今、実家に来ています。

上京して約25年。4クラスあった、小・中学校は、1クラスに。近所にあった書店も、カラオケボックスも、保育園も、薬局も全部なくなっていました。

しかし、中華料理屋、ケンタッキーフライドチキン、メガネのミキ、贈答品のお菓子屋、パン屋、美容室は、未だ健在でした。

 

後継者問題もあるのでしょう。僕が上京するときに、40代後半だった人たちは、もう定年後です。後継者が無く、潰れて行ったお店もすくなくないと思います。

 

発展しているなーと思ったのは、JAでした。

いたるところにJAバンクが出来ていました。

 

この田舎の状況。

何もかもが終わりに向けて動いて行っているような感じ。地方は経済的に困窮していっているように思えます。

 

でも、25年続いている企業もあります。

小学校裏の文房具屋。その隣の自転車屋。何が違うのか?

正確にはわかりませんが、一つだけはっきりしているのは、25年続いている会社は、25年その地域に貢献しているという事です。

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

 

健全なコミュニケーションの為に必要なこと

こんにちは。出張中です!

今日は仕事っぽいことを書きたいと思います。唐突に。

 

人は皆、善良である

リスクアセスメントを実施する際には、参加者が発するすべての意見について

①政治的な駆け引き

②損得勘定による発言

は、無いことを確認する必要があります。

 

どういう事かと言うと、どんな人の意見も大切にするためです。それぞれの参加者の視点、才能が違うから、違ったリスクが検出されるのであれば、大歓迎なのですが、特定の誰かをこき下ろすツールとして使われては、たまったものじゃありません。

 

複数の人間が意見を発すれば、対立するポイントもきっと出てくると思います。
 
そんなときに、前提として、参加者の存在を承認をしていた場合なら、相手の発言は、改善に資するものとして発言されたものであるから、理解できるまで、その発言の意図を確認していけます。
 
お互いの意見を理解しあえると、同じ事象であるにも関わらず、当事者間でその定義が全く異なっているようなものが見つかるだろうと思います。
 

どうやってみわけるか?

僕は、《個人名》が悪いという意見や、《一般的には》という枕詞がつく発言は、必ず1回質問を帰すようにしています。

なぜなら、このフレーズは、損得からみの言葉である可能性が高いからです。

まず、《個人》が原因のことは、社会では当然のようにあります。ただし、その原因になってる人物が、その職務をやり続けていられる仕組みの方が問題なんです。

なぜ、配置転換しないのか?出来ない理由はなんなのか?

人は得意な分野であれば、一生懸命働きます。もし、問題が放置されたままになるのであれば、配置転換すべきだと思います。

 

《一般的には》は、どこスタンダード?

僕は、大企業では一般的には…とか、うちぐらいの規模の会社では一般的に…という表現は、政治的な駆け引きにしか、聞こえません。

知ってる俺すごいでしょアピール?

仕事押し付け?

そういう動機が見え隠れします。

そんなときには、正確なその情報の出所を示してもらってください。

 

 

先延ばし癖こそが、最大の悪癖

何故ウルトラマンは、最初にスペシウム光線を撃たないのでしょうか?そしたら、カラータイマーも点滅する事がないのにね。

 

みなさん、こんばんは。

 

本日は、僕が苦しい修行の末、発見した真実。「先延ばし癖こそが、最大の悪癖」について、お話したいと思います。

 

 

問題はいつも、先延ばしの先にある

人が生きていく上で、こりゃ地獄のようだな。と感じるものって、何があるでしょうか?

僕は、病、貧困、争い、だと思います。

そして、これらは、いずれも先延ばしが原因で悪化します。

僕は、これらのうち2つを乗り越え、今、もう一つの修行に取り組んでいます(笑)

 

まず、病。この最大の修羅場は、学生時代に訪れました。それは、親不知虫歯です。

当時、お金も時間もなく、痛むのを我慢して過ごしていたのですが、ある日、強烈な痛みと熱。まさにのたうち回って歯医者に行きました。

思っていたより安い費用(日本の保険制度最高!)そして、時間もたいしてかかりません。

なぜ、もっと早く医者に行かなかったのかと反省し、また、なぜ日々の予防をちゃんとしなかったのかと反省しました。

 

次に争い。この最大の修羅場は、4年ほど前になります。当時私は超パワハラ上司のもと、精神的に追い詰められていました。

クタクタになって疲れ果てて家に帰ると、キッチンのシンクには、朝からの全ての洗い物が放置。洗濯物は取り込んだまま。かみさんは育児疲れでソファーで爆睡。

終電で家に着き、そこから家事。就寝は4時近くなのに、翌朝は6時起床。

まさに、地獄のような日々を過ごしていました。

 

解決したのは、超パワハラ上司の退職と、かみさんとの大喧嘩です。正確には、大喧嘩後に正直に辛さを告白したことでした。

 

飲み込んでいた不満を、落ち着いてひとつひとつ説明すると、ひとつひとつ事情を返してくれ、本人も申しわけなさで苦しんでいた事をはじめて知りました。

 

なぜもっと早く、落ち着いた話し合いの場を持たなかったのかと、反省しました。

 

今、貧困克服修行中(笑)

今は先延ばし癖で生まれた貧困克服に取り組んでいます。

事業評価と改革を先延ばしし、パートナーとの真剣なコミュニケーション改善も先延ばしし、今、設立した会社は存亡の危機です。(自分的には、パートナーの担当事業は、いい感じかも知れません)

今、やらなければならないのは、客観的な事業評価と、戦略決定です。縮小均衡を目指すのか?清算するのか?清算するとなると、出資者にも迷惑がかかります。

パートナーも挽回に向けて頑張っていると思いますが、今後の戦略はゼロベースで見直すしかありません。

 

なぜ、俺、こう?

おそらくですが、子供の頃から計画無しで上手くきてしまったのが、原因だと思います。

今、思うのは、先延ばしは、①計画の甘さと、②見積もりの精度の低さ が原因で起こる事情だと思います。

 

特に①。制約条件であるお金と時間。これを適当にしか計画してないと、計画したけどやらない。とか、気分が乗らないからやらない。という事が発生します。

 

真剣に計画するためには、考え抜く必要があります。

こないだwebである記事を読みました。

某広告代理店の方が、提案するまで、100も200も考える。そして、1つに絞っていく。ということを、ずーっとされていたそうです。

これな。

考え抜く訓練しないとですね。

僕は、月に200時間働かなきゃいけない時には、働いて来ました。でも、これでは意味がありません。

なぜ?考え抜かないからです。

とりあえずやる。それだけです。

 

これからは、変身して登場した直後にスペシウム光線を打つような。そんな無双ぶっぱな自分になっていきたいと思います。

(ちゃんと計算した上でのぶっぱなので、正確にはぶっぱでは無いですけど)