人はなぜ原則を無視してしまうのか?
一度決めた原則を無視した意志決定というのは、ともすれば常態化し易い。
例えば、○億円以内の投資であれば業務執行担当役員の決裁ときめたのにも関わらず、執行役員会に諮問する。
下手すると取締役会に上程するとか言い出す始末。
これに対して、やることのない取締役会は、喜んで議論をしてしまう。
「そうかそうか、相談してきたか。よろしい。」と。
誤った判断をむしろ歓迎する弱さ
本来は、ここでなされるべきは、決裁権限規程に沿って対応しろ!と上程案を突き返すことなのだが、なかなかそうはいかない。
ここでなぜ規定外運用としたのか?を問うならまだしも、喜んで議論する会社というのは危ない。
なぜならば、予め決めるという文化がないため、意志決定時の仮説が甘々な可能性があるからだ。
つまり、取締役会しかちゃんと考えない文化。ともすれば、取締役会すら、ちゃんと考えない文化の可能性さえある。
見えない機会損失
そして、こういう場合には、「やらない」という答えが選択される可能性が高い。
なぜならば、やって失敗は見えやすいが、機会損失は見えないからだ。
たとえやらないと意志決定しても、生じるのは機会損失のみ。
であれば、だれも責任をとらないで済む。
だから、やらない。となる。
これは、個人についても同じだ。
例えば資格取得をしようかなーと考えているとする。
やる!となれば、勉強をして、試験に挑戦して、不合格だと金も時間も報われないし、自尊心も傷つく。
一方、忙しいなどと言い訳して、何もやらなければ、資格が取れないだけ。
人は往々にして、やらない選択をする。
捉え方を変えるしかない
どちらの例にしても、目に見えない恐怖を相手にして、逃げているだけである。
このような捉え方をしている限り、現状を抜け出す事は難しい。
あくまで仮説立て、実行してみて、検証修正する機会と捉えるしかない。
40を超えて実感するのは、時間の無さだ。
どういう事かというと、仕事が忙しいとかじゃなく、30代では必要なかった事に時間を使わないといけない身体になったことを実感するからだ。時間を使ってメンテナンスしなければならないのだ。
睡眠、運動、スキンケア
まず睡眠だ。睡眠の質にこだわらなければ、疲れがとれなくなる。半徹したりすると、2日は引きずる。
次に運動だ。瞬く間に筋力が落ちるのだ。この週末、近所の児童館で餅つきのお手伝いがあったのだが、思うように杵が取り回せない。ふらつく。握った手が固まって、ひとりで外せない。日頃キチンと筋トレをしなければ、あっという間に身体が弱ってしまうだろう。
そしてスキンケアだ。
昔は、男がスキンケアだと?と完全に無頓着だったが、何もしないと乾燥で肌が荒れ、痒くなったり、痛くなったりするようになった。
正直、これらのことも、知っていたことである。しかし、実害がでていなかったので、やらないという選択をしてきたことなのだ。
自分の頭で考え、原則を決める
改めて立ち止まって考えて欲しい。
あなたはどんな人物になりたいか?
身体的エネルギーが満ちた人物になりたいなら、健康的な習慣を身につけはじめなければならない。
知的でありたいなら、学習の習慣。
これらは、すべて、機会損失しかないので、後回しになる。
「まだ若いから大丈夫なんじゃないの?」なんていう無責任なアドバイスに耳を傾けるべきではない。
今から実験をはじめるのだ。