視座ってなあに?
今日は、土曜日ですが、娘の美容院の送迎で早起きした雑談課長です。
さて、今日のテーマは「視座」ってなあに?です。
言葉の意味としては、
物事を見る姿勢や立場。
出典:デジタル大辞泉
だそうです。
でも、これだけだと経営チームの視座が低いと、部分最適になってしまうのか、ピンと来ませんよね?
経営者の立場で考えてるわっ!と怒り出す人もいるかも知れません。
でも、実は、その時点で部分最適がはじまっているのです。
解説します。
事業を経営するときに、経営者の視座で物事をみていると言いますが、事業を経営する事は手段です。
目的は、企業理念の中にありますよね。
「○○な社会の実現に貢献する」とか。
つまりは、
「○○な社会の実現に貢献する」
ために、事業をしているのであって、
経営者という視座は、もうすでに手段が目的化しているんです。
よく、主任とか係長とかリーダーになったときや、自己啓発書なんかで、「経営者の立場で」物事を考えろとか、「2つ上の上司の立場で仕事を捉えよ」とか言いますよね?
ですから、経営者も同じように2段階上の立場で物事を考えなきゃなんない。
ここまでくると、抽象度が高過ぎて、よくわからなくなってしまいますが、○○な社会を実現した後の人々の視座を持つと考えるとよろしいです。
例えば、織田信長の理念が、戦乱の時代を終わらせる。だったとします。
彼は戦ばかりしていますが、それはあくまで、戦乱の時代を終わらせるための手段です。
自分達が天下統一して、戦乱の時代を終わらせるのが目的ですから、武士の作法とか、どうでもよい訳です。
奇襲はするわ、鉄砲隊を使うわ、やりたい放題ですが、目的はブレていません。
新たな戦の火種を残さないために、打ち負かした相手の親族は、女子供容赦なく全員殺してしまいます。
一方で、自分達の領地の城下町には、楽市楽座を導入し、当時としては新しい規制緩和策、財政策を敷きます。
恐らくその城下町の様子が、戦乱の時代以降の理想だったとおもいます。
配下の武士たちは、戦ばかりだと手段の目的化に陥ってしまうために、城下町の様子を見ることで、本来の目的を思い出し、統率力の高い組織が組み上げられていったのでしょう。
歴史上の事なので諸説あることは承知していますので、比喩表現の一部ということで、スルーしてくださいね。
経営者の視座が低いときに起こる事
日本では、ピラミッド型の組織が多いですから、経営者から中間管理職、一般従業員とだんだんと視座は下がってきます。
その代わり、下に行くほど具体策が見えてきます。
高いビルの展望台から外をみると、遠くまで見えて、車の流れや、人の流れは掴みやすいですが、その中のひとりの服装はわかりません。一方、地上では、ひとりひとりの服装はよくわかりますが、人の流れもゴール地点がどこなのかも、よくわかりません。
経営者の視座が目的地まで見渡せる程の高い位置にあるとするならば、従業員に最終ゴールまでの道のりについても語れるでしょうし、場合によっては地図を渡すことも可能です。
しかしながら、経営者の視座が低く、ゴール地点がわからないようであれば、とりあえずの指示しか出せず、従業員も徐々に惰性で進むようになっていきます。
ここで質問です。
あなたは何を実現したいのですか?
この質問への答えが、あなたの視座です。
従業員として働いている方は、以外と具体的な事しか思い浮かばない事に、びっくりすると思います。
では、明日は、この「視座」を明確にしつつ、引き上げていくためには、どうすればよいのか?について書きます。