Focus notes

幸せに生きるためには、戦略的コミュニケーション技術が必要なのです。

ポリティカル・コレクトネスって知ってるかい?

政治的に正しい表現のことで、すごくざっくり言うとコンプライアンスの為の自主規制みたいなものです。

そして、このポリティカル・コレクトネスが行き過ぎると、言葉狩り社会になってしまいます。

 

現在、私は、スーパーベンチャーで働いているのですが、過剰ポリコレ女子が近くにいます。全ての過剰ポリコレの人がそうだ。とは言いませんが、なぜか、他人に厳しく、自分に甘々なんですね。

 

例えば、出退勤、昼休み、単位時間あたりの成果物はゆるゆるなんですが、上司の注意の仕方、雑談の方向性については、かなり厳しい突っ込みが入ります。

 

私自身は、そのあたりの失言等は無いので、無害ではあるのですが、ある意味恐ろしいなぁと感じています。

違和感の正体

ずっと違和感を感じていたのですが、その招待がやっとわかりました。

それは、いつも言っている通り、「他人に対する敬意」が圧倒的に不足している。ことにありました。

 

例えば、ある法律があります。その法律には、作られた趣旨がある。趣旨があるということは、立法者の想いがあります。

 

行政解釈が確立していない場合や、判例が出揃っていない場合、実はこの法律の適用というのは、若干の「緩み」があります。

 

趣旨を鑑み、誠実に解釈をし、業務へ適用する。もし、問題があれば是正する。この繰り返しになるはずなのですが、過剰ポリコのひとは、これを不適切に使い分けるんです。

 

シンプルに言えば、自分に都合の良い時には、緩く解釈し、都合が悪い時には、趣旨を無視して、過剰解釈する。

確かに組織は怖いものだが

前職で経営のすぐそばで仕事をしていたので、組織と対峙するときには、かなり気をつけておかないと、泣き寝入りせざるを得ないような仕打ちを受けるケースがある。のは、よくよくわかっています。

 

だからといって、脇の甘いベンチャー企業に入って、自分の都合のよいように、揚げ足を取りまくるというのは、どうかと思います。

 

誠実で倫理観の高いエンジニアが働きづらくなっていくのだなーと思っていますが、排除するには、適切な評価制度を作らなければ難しいです。

小乗の善は大乗の悪

私はこのような「他人に敬意」を持っていない、薄っぺらい「政治的な正しさ」を利用して保身や優遇を企むゲスが嫌いです。

首相が靖国神社に参拝に行くからって、とやかく言う必要はない。信教の自由です。

他社から有能な人材を引き抜く活動も、大いに結構!職業選択の自由があるんです。

※もちろん、悪用していない人もいます。

謙虚に真っ直ぐ仕事しよう!

いーじゃん、仕事できなくても、努力してスキルアップすれば。

自分より有能な人が入ってきたら、学べばいいし、意見が違ったら、違うって言えばいい。

私、おっさんだけど、まだ伸びるよ。

いつかは来るのだろうか保身第一

いつから人がそうなるのか?まだわからないので、自分自身が保身第一主義者になる日が来るかも知れません。

でも、正直、行き詰まったら死んでしまえば、守りたい人たちを守れる備えがあるならば、怖いものは無いですけどね。

何の話や?

結論としては、やっぱりまともな人間かどうかは、「他人に対する敬意」を持っているかどうかにつきるなぁ。というお話でした。