伝え方が大事というけれど
経営者が従業員に「決定事項」を伝える際には、どのように解釈されるのかについて、細心の注意を払う必要がある。
なぜならば、よほど恵まれていない限りは、感じた不満や不信感についてのフィードバックは貰えないものだからだ。
現代の企業において、もはや、経営者と従業員の関係は、上下関係ではなくなっている。
優秀な従業員は、引く手数多であり、特に若年層についてはその傾向は顕著だ。
伝え方の問題というけれど
前段では、経営者を主語にして記述したが、伝え方の問題というやつは、上司部下の関係でも、先輩後輩の関係でも、同僚の関係でも発生する。
伝え方の問題としたが、不満や不信感を伴うものについては、基本的な考え方の問題だったり、姿勢の問題であるケースがほとんどではないだろうか?
「この程度の分析も満足にできないの?」
「やる気あんの?」
みたいな発言を耳にする事があるが、こういう時に、「あの人の伝え方には問題がある」みたいなフォローをする事があるが、これは伝え方の問題ではない。
上下関係にしろ、発注者受注者という関係にしろ、ある組織でのある時点における役割分担がそういう関係性であるだけで、本来は、それぞれ独立した個人である。
原則として、個人対個人の関係性であるならば、相応の配慮が必要だ。と考えている人であれば、相手に不快感を与えるような言動は慎むものだ。
関係性として自分が優位であれば、配慮が不要と考えてしまうような人だからこそのものである。
もちろん、首尾一貫しているのであれば、それはそれでいい。例えば政治家なんかは、選挙の時には腰を折り、丁寧に接するが、日常ではふんぞり返っていたりする。
神○川○区の○藤○一議員なんかは、選挙区の自治会の夏祭りではとても丁寧な対応をするが、防衛庁職員にはパワハラ、セクハラまがいの対応をしているというニュースがある。
さすがに、パワハラ、セクハラとなるとそもそもの人間としての質が低いと思うが、首尾一貫はしている。
最悪のタイプ
最悪のタイプは、優位な時は配慮ゼロで接してくるが、劣位な時は、配慮をしろと求めてくるタイプだ。
某○国の外交がこんな感じだね。どこの国とは言わないけれど。
人生最大の謎
このようなタイプの人と出会う度に謎なのだが、なぜ人は、他人に対してマウントをとろうとするのだろうか?メリットが全く無いにも関わらず。だ。
まあ、さすがに日本文化で育って来ているので、ある程度高齢者が、若者達に対して敬われるべきであるとは思うのだが、女子高生や妊婦に対して高圧的に接しているお年寄りとかを見ると、悲しい気持ちになる。
「70年以上生きてきて、この程度の見識しか持てない人生って…」
もし、世の中の人々が、配慮を旨として生活してくれればどれだけ過ごしやすいだろうか?
愚か者からは離れてみよう
こういう際の最善の手は、愚か者は存在する現実を直視しながらも、愚か者を自身の人間関係から排除?消去?する事だ。
会社の上司だとしたら、転職する。取引先ならば、営業しないか、転職する。同僚ならば、絡まないか、メールで済ます。
いずれにしても、エンプロイアビリティを高めておく必要がある。
奥さんだったら離婚すればいい。
そんなに簡単じゃないよと言うかも知れないが、自分自身が愚か者でない限りは、愚か者のいない人生の方が望ましいし、思考停止せずに、実現する方法を考えた方がいい。
配慮出来る人は孤独にはならない
会社でも、地域でも、配慮ができる人は孤立無縁になることはない。誰かが必ず手を差し伸べてくれる。なぜなら、そのような人との関係性は気持ちがよいからだ。
もし、あなた自身が孤独を感じているようであれば、個人対個人としての最低限の配慮を日常的に出来ているか?を問うて、自らを改めた方が良い。