九州弁でよかですか?(しかも、八代弁)
今日、久々に師匠とその弟子の人達と飲んだ。失礼を承知の上で、八代弁というオブラートに包んでお届けします。
ひとんこつば、あぎゃんこぎゃんいう前に、我がこつばどぎゃんかしなっせ。
おいは、我がどまがいうよっか、どぎゃんでんでくっけん。
じぇんの、なかけんが、なんも出来んておもとるかもしれんばってん。わっどま何回だまされたこつあっとや?
おいは、なんべんでんあっぞ!
そっでん。どぎゃんかすっとだけん、ぼーっとしときゃよかたい。
わっどま、次おうたときになんか言うてきたら、どぎゃんかなりました。ていうけん。
命を燃やしている感覚
死ぬ気で頑張るとか、必死に頑張るとかいうが、本気で死を覚悟すると、こんな感覚なんだなーと自分に関心している。
1)イライラを表現する必要がなくなる。
苛立ちを感じたとき、それを表現するかどうかについて、人間はとっさに判断している。
イライラを表現するのは、誰かにそのイライラを気づかせて、気を使ってもらいたい時だけだ。
死を覚悟すると人に動いてもらうのを待つのすら勿体ないので、すぐ自分で動くため、苛立ちを感じでも、表現するより先に解決策の為の動きを取るようになる。
2)一期一会だからこそ、礼を尽くす
例えば、コンビニのレジのアルバイトでも自分の人生に少しでも関与している人には、心からのお礼を伝えるようになる。
3)家事が自分事になる
かみさんの掃除を手伝い、洗濯物の取り込み、たたみを手伝い、炊事・洗い物を手伝う感覚だったが、それすらも自分の思い出を残すツールだと思えてきて、手伝うという感覚ではない、自らがやるんだ!というようになった。
4).
人生とは幻想だ
確実に存在しているのは、今だけ。
未来も過去も愛も友情も、すべてはまぼろしみたいなもんだ。
求めても近づいては来ない。
だから、何も遠慮せずに今を生きたらいい。
マシな人間のふりをする必要なんてない。
失望感
子会社の割とイケてると思ってた部長さんが、責任転嫁発言。
正直、失望ですね。
残念だけど、やっぱり自分の組織を守るのね。そんなもんなのかな?理解出来ない。
でも、自分にミスがあったことを認めるのは勇気がいるよね。僕も怖くて足がすくむ時がある。
僕らは何の為に仕事してるんだろう。
どうせやるならちゃんとしたい。
ある程度ずる賢くないと、成功できないのだろうか?社内で足を引っ張って、上にいく。
僕はそれでも、自分なりの答えを見つけたい
やっちゃえ!そう言われてる気がした。
とても面白そうな企画だが、どちらかというと「熱さ」に圧倒された。
やはり、ある世界でトップクラスにいる人間は、自分を追い込んでる。
ムロツヨシは、人気もなにもなく、親類友人しかお客さんが入らない時代から、自分主催の公演を毎年やっているそうだ。
それは、自分を振り返るマイルストーンでもあり、自分をアピールする売り込みの場でもあるそうだ。
渡辺直美も同じようなことを行っていた。ワールドツアーをやったのは、失敗しても、自分を売り込む場だから、現地のプロデューサーだったり広告代理に見せれればいい。と思ってやったんだと。
(自分の受け止め方ですので、正確性は主張できません。)
なるほどと。
表現したい人間は、自分が面白いと思うことはこれですよーと表現することに、全力で取り組むんだな。
ビジネスマンも同じですよね。
自分が正しいと思うことで主張を戦わせるとややこしいので、これもまた、自分が面白いと思うことを表現しあえば良いのだと思います。
何を期待しているのか
課長退職により、経理部門が揺れている。
実務的にあまりにも課長依存度が高く、部長はいるものの、経理部門が回っていない。
監査法人との対応も上手く出来ておらず、誠実性に欠けると思われているのか、次から次へと資料徴求依頼が来る。
いてもたってもいられず、社長に現況を直訴した。が、直属上司に組織的な対応ではないと叱られた。組織の輪を乱すなと。
うん。おっしゃるとおり。正しいです。
よくよく考えてみると、こんな事しても何も変わらない。
賢くならなければならない。波風を立てると損をするのは私だ。
経理部員2名が終電まで作業している。
話を聞いたら、部長判断の為の資料準備だ。部長は定時に帰っている。
日本のホワイトカラーの生産性は低いと言われるが、そりゃそうだなと思う。