人事評価制度という悪夢
人間とは不思議なもので、ゲームのルールが決まると、それに沿って勝とうとするものです。
まあ、一部例外な人がいて、抜け道探すのに燃える人もいますが…
さてさて、こんな書き出しになったのには理由があり、今勤めている会社はベンチャー企業なのですが、自称人事のプロ達が、人事評価制度を導入したのです!
前Qはプロトタイプと言うことだったのですが、一切なんの変更も加えることなく、本番運用がはじまりました。
途端に無くなるモチベーション
例えば、社内セキュリティー強化に取り組んでいる部門。ユーザー側のアプリケーションの改善を担当している部門。管理系部門。
人事採用グループ以外のほとんどのメンバーのモチベーションがみるみるうちに溶けてなくなりました。
「課題を発見し、社内調整や技術的対応をして、理想型をどうやって作っていくかが楽しかったのに」
「目標を決めて、目標達成の為の仕事ってなんなの?」
「なんで俺の仮等級があいつと同じなんだ?」
「何をやっても100%達成が上限になっちゃうじゃないか!」
おそらく、この失策だけで、社内のパフォーマンスは、半分以下になったのではないでしょうか?
人事評価制度だけで?
YES.
社内制度なんて、運用次第だろっ!
という暴論も聞こえてきたりします。
しかし、ちょっと想像してみて下さい。
高いお金を払って購入した車が、20年前の中古車で50万キロ走ってる車だとして、これで、ワールドレベルのレースに出ろと言われたら?
自分の頭で考えるしかない
まあ、人事評価制度なんて、万人に正しい制度は作れないものだが、舐めてかかると痛い目にあう。
ぜひ、人事を生業にしている人には、肝に銘じて欲しい。
成果主義ではなくプロセス主義
もし、そこに到着する事が目的ならば、なんとも味気ない旅だろう。
どこでもドアを開け、ドアを潜ると到着。目的達成。
着いたら次の目的地を探す。
いつまでも果てない「空」だ。
旅は、旅程のすべてが目的だろう。旅程の全てを楽しむ。
例えば、年に10回富士山に登る人がいて、彼の目的は登頂。山頂に到着したと思いきや、景色を見渡す事もなく下山していく。
一方、年に1回旅に出る人がいて、彼の目的は旅程のすべてを楽しむこと。
景色、空気、香り、食事、宿、人との出会いすべてを楽しむ。
どちらが好きだろうか?
日常もおなじだ。
仕事の目標達成のみを追い求めてどうするというのだ。
失敗も楽しめ~
人はなぜ原則を無視してしまうのか?
一度決めた原則を無視した意志決定というのは、ともすれば常態化し易い。
例えば、○億円以内の投資であれば業務執行担当役員の決裁ときめたのにも関わらず、執行役員会に諮問する。
下手すると取締役会に上程するとか言い出す始末。
これに対して、やることのない取締役会は、喜んで議論をしてしまう。
「そうかそうか、相談してきたか。よろしい。」と。
誤った判断をむしろ歓迎する弱さ
本来は、ここでなされるべきは、決裁権限規程に沿って対応しろ!と上程案を突き返すことなのだが、なかなかそうはいかない。
ここでなぜ規定外運用としたのか?を問うならまだしも、喜んで議論する会社というのは危ない。
なぜならば、予め決めるという文化がないため、意志決定時の仮説が甘々な可能性があるからだ。
つまり、取締役会しかちゃんと考えない文化。ともすれば、取締役会すら、ちゃんと考えない文化の可能性さえある。
見えない機会損失
そして、こういう場合には、「やらない」という答えが選択される可能性が高い。
なぜならば、やって失敗は見えやすいが、機会損失は見えないからだ。
たとえやらないと意志決定しても、生じるのは機会損失のみ。
であれば、だれも責任をとらないで済む。
だから、やらない。となる。
これは、個人についても同じだ。
例えば資格取得をしようかなーと考えているとする。
やる!となれば、勉強をして、試験に挑戦して、不合格だと金も時間も報われないし、自尊心も傷つく。
一方、忙しいなどと言い訳して、何もやらなければ、資格が取れないだけ。
人は往々にして、やらない選択をする。
捉え方を変えるしかない
どちらの例にしても、目に見えない恐怖を相手にして、逃げているだけである。
このような捉え方をしている限り、現状を抜け出す事は難しい。
あくまで仮説立て、実行してみて、検証修正する機会と捉えるしかない。
40を超えて実感するのは、時間の無さだ。
どういう事かというと、仕事が忙しいとかじゃなく、30代では必要なかった事に時間を使わないといけない身体になったことを実感するからだ。時間を使ってメンテナンスしなければならないのだ。
睡眠、運動、スキンケア
まず睡眠だ。睡眠の質にこだわらなければ、疲れがとれなくなる。半徹したりすると、2日は引きずる。
次に運動だ。瞬く間に筋力が落ちるのだ。この週末、近所の児童館で餅つきのお手伝いがあったのだが、思うように杵が取り回せない。ふらつく。握った手が固まって、ひとりで外せない。日頃キチンと筋トレをしなければ、あっという間に身体が弱ってしまうだろう。
そしてスキンケアだ。
昔は、男がスキンケアだと?と完全に無頓着だったが、何もしないと乾燥で肌が荒れ、痒くなったり、痛くなったりするようになった。
正直、これらのことも、知っていたことである。しかし、実害がでていなかったので、やらないという選択をしてきたことなのだ。
自分の頭で考え、原則を決める
改めて立ち止まって考えて欲しい。
あなたはどんな人物になりたいか?
身体的エネルギーが満ちた人物になりたいなら、健康的な習慣を身につけはじめなければならない。
知的でありたいなら、学習の習慣。
これらは、すべて、機会損失しかないので、後回しになる。
「まだ若いから大丈夫なんじゃないの?」なんていう無責任なアドバイスに耳を傾けるべきではない。
今から実験をはじめるのだ。
ビジネスとは合気道だなこれ
別に自分、合気道を知っている人間ではないので、あくまでもイメージでしかないのですが、ビジネスって合気道。いや、人生って合気道だなと思います。
人は自分の意見に固執する
今日、様々な部門責任者との会議に参加したり、社外の人と話したりして、改めて認識したのは、人は皆、自分の立場、視点でしか発言しないし、人の話を理解しようとする人間は、希少。ということです。
まあ、そりゃそうよ。法務の人間は、どうしても法令等に引きずられるし、また、その視点での発言を期待されてる。
しかし、そこに固執してどうするの?とも思うのです。
プラス謎の癖
また、マウントを取るためになのか、自分の得意な分野で、自分が正しいと確信したときには、ちょっと挑発的な発言をする。
売り言葉に買い言葉がはじまり、そもそも何で話し合いがはじまったかを皆で仲良く見失う。
あー人間臭い!美しくはないけれど、面白い!!
人の話を聞く余裕
しかし、本当に楽しいのは、やはり人の話をしっかりと聞くことなのです。発言者の背景、思惑、欲望を想像し、ドラマを見るように話を聞きます。
そして、まるでその人が望んだかのような結末(その結末はあなたが望んだ結末なのだが)へ誘導します。
昔はこのような思想や振る舞いは、狡いというあまり良くないものと考えていたのですが、最近はこれこそが正解なのだと確信しています。
穿った見方というやつ
なぜならば、誰しもが自分の価値観によってしか、世の中を見ない事に気がついたからです。
であれば、その人が望んだと思える未来に導くのは、決して悪ではありません。
人の話をきちんと聞かないから、操作されるのです。とはいえ、ここでは「騙す」を推奨している訳ではありませんよ。ビジネスである以上、Win-Winが前提ではあります。
詐欺的情報商材屋のように、射幸心だけ煽ってなんて真似はしてはいけません。あれはゲスです。
離婚をちらつかせる不倫と同じです。
共感出来ません。
事例:さすがと言われたい取締役
例えば現職の内部管理管掌取締役さんは、若い女性社員から「さすが」と賞賛されたいセクハラ野郎です。
そのためには、ありとあらゆる策略を張り巡らします。
外部専門家にはへりくだりつつも、そこで得た知見を「知っていて当たり前。私が一番詳しい!」といったドヤ顔で、執行役員を詰める材料にする。
みんなが手を焼く厄介者でした。
しかし、彼は単なる承認欲求の塊なので、攻略は簡単でした。
私が取った手としては、
- 社内公認会計士による操作
- 社長秘書による操作
- 外部専門家による操作
この3つです。
彼は、この三者から褒め殺されます。その事で、無駄な社内攻撃が回避される。
人のありのままをみて、正しい合いの手を入れる
再掲になりますが、人生は合気道です。最強なのは、かわす。相手の力を利用して倒す。そもそも戦わないのが一番ですが。
そのためには、人の愚かしい部分を否定するのではなく、受けとめる事が必要です。観察してあぶり出す。
潰すのは大変なので、自ら無力化していく道に誘導しましょう!
またやってるハイハイ商法
高齢者の相手にした詐欺で生きている連中って、どういう気持ちで日々を過ごしているのだろうか?
詐欺の親玉は少数だろうが、従事している人間は何十人もいるはずだ。
割の良いバイトの気分なのだろうか?
騙される人間が悪いと開き直っているのだろうか?
30年間変わらぬ手法になぜ騙されるのか?
健康増進セミナーと称して、スーパーの脇や
プレハブ小屋などで、高齢者を集めて、もちろんその中にはサクラを混ぜて、「血液サラサラでーす。」と呪いのように何度も唱えさせ、催眠術のように思考力を奪ってただの水を数千円で販売する。
こんな手法は私が小学生の頃から存在していた。
私の地元では、「ハイハイさん」と言って、詐欺だから気をつけろとみんなが言っていたものだ。
当時そのように言っていた父母の年代こそが、今のメインターゲットになるのだろうが、なぜ高齢者はこれに騙されてしまうのだろうか?
全ての関係者が少しずつ「悪」
会場を貸す大家。
新聞織り込みチラシを印刷する業者。
新聞屋。
みんな知らん顔して、詐欺師を手伝っているのだ。善良な第三者の顔をして、詐欺師の片棒を担ぎ、分け前をもらっている。
「キレイゴトだよ。買いたい、サービスを利用したいというお客さんがいたら、売るのが商売なんだよ。」
反吐がでる。
詐欺をやってる現場にいても、そう言ってられるのだろうか?
若手もハマる同じ罠
しかし、よくよく考えると、若者をターゲットにした同じような詐欺も蔓延している。
ブログで独立。
副業セミナー。
この類は本当にヤバい。
イケ○○ヤトとか、完全に詐欺の親玉だと私は思うのだが、色んなメディアが彼に執筆させる。
全員で詐欺の片棒担ぎあいだ。
どうやって身を守るか。
結局、ハイハイ商法もイ○ダハ○ト界隈も、共通しているのは、「自分の頭で考える」「自分の頭で考えた仮説を検証する」「改善を繰り返す」をショートカットしようとする人達を騙しているのだ。騙される方が悪いと言われれば、そうなのかも知れない。
こういう連中の餌食にならないためには、辛くとも自分の頭を使って考える事が必要だ。
メディアは、簡単に詐欺や反社会的勢力の片棒を担ぐ。倫理観などかけらもないのだ。信用出来ない。