Focus notes

幸せに生きるためには、戦略的コミュニケーション技術が必要なのです。

根性論を捨てよう

サイバーエージェントの藤田さんが、新入社員の入社式で、

「No Pain,No Gain」というのは辛い目に合った分強くなり、仕事ができるようになるということです

と語ったという記事を見て、当社役員が「全くだ。20代はもっと死に物狂いで働くべきだ。そうしないと成長はない。」

とか言っちゃってるのだが、本当に阿呆なのかと思う。

この記事を読んで根性論だと思っちゃうあたりが、ヤバい理由だ。

部下に「辛い」と思えるほどの仕事を任せられるか

バブル世代のおバカさんたちは、「辛い=長時間労働」だと思ってる。そして、若手社員に雑務をバンバン振って、自分はネットサーフィン or 他のおバカさんたちとだべって1日を過ごす。

当社で今ピカイチだなぁと思える部長(30代)はこのあたりが全然違う。

新卒2年目の女性に、システム開発部・法務部・経理部を巻き込んで動かさないといけない案件を全振りしたのだ。

いや正直ムチャクチャ重たい。

案の定、交渉がうまくいかなかったり、ちょいポカをやったりして、その女性は半ベソで仕事をしていた。

では、彼女は体調壊すくらいの長時間労働をしていたかというと、そうではない。

36協定の範囲内(時間外労働月45時間以内)で働いていた。

バブルバカは、ワンチャンを狙う

その30代部長は、定例mtg以外はフォローをしている素振りは無かったのだが、さすがにこれだけガムシャラに働いていると、その女性に対して周りも心配になる。

「何か手伝おうか?」

「ちゃんとフォローしてもらってるの?」

まあ、このあたりはまだわかる。

「あいつ糞だな。俺が上司だったら、こんなやらせ方はしないよ ムチャクチャがんばってるね。一段落したら飲みに行こう。話を聞いてあげる。」

そう言い放つバブリー部長(50代)はヤバい。酔わして何する気だよ!

負荷をかけて活路を探させる

まあ、ちょっとその30代部長も下手くそな部分はある。「今のやり方で上手く行かない時は、別のやり方を探せ。」くらいは言ってもいいと思うのだが、まあ、この半年でその女性は見違えるほど成長した。

ワンチャン狙いのバブリー部長は、「よく頑張ったね。あの無責任上司にめげずに頑張ったから君はムチャクチャ成長できたね。よし、飲みに行こう。」(って、それしかやることねーのかよ!)と、言い寄ってる。

マネジメントの謙虚さが重要

20代に経験させるべき「辛さ」とは、

  • 一見無謀な業務量
  • 投下時間を増やさせ過ぎない
  • 工夫を促す
  • 実験を奨励
  • 失敗を歓迎

あたりだ。特に絶対にやってはいけないのは、「根性で乗り切る。」というど阿呆な成功体験を積ませてしまうことだ。

マネージャーは、本当にまずかったらフォロー入れる覚悟をして、部下の可能性に謙虚に向き合って、クリアを待つしかない。

若手が自動化するスクリプトを組んで、「これ使えば、5分で終わりますよ。」といって来たときに、「いや、計算間違いがあっちゃ駄目だから、毎回手計算して。」とか言っちゃったら終わりだ。

なんだかんだでバブリー部長はいらない

若手社員に睡眠時間削らせて、根性論のみで課題をクリアする事を求める理由って何だろう?と思っていたけど、男性ならば洗脳的服従。女性ならばワンチャン。をねらってるんだろうなと思う。

全員がそうではないかもしれないけれど、50代管理職体育会系根性論おっさんは、本当にいらない。

 

 

キモイおっさんにならないように

私は生きているのか?

40歳を超えて、日々、教訓を得て生きることが難しくなったように思います。

既に知っている事も多いからなのか?

心が動かなくなってしまったのか?

感じない。気付かない。学ばない。

既に知っている事を、知らない人に共有しながら、粛々と処理を進めていく毎日。

しかしながら、それを実際に文章で表現してみようとすると、なかなか書くことは難しい。

アウトプットの質を向上させ、誰かの「なるほどな」に貢献出来たら嬉しいけれど。

自分の中のスーパースターの呟き

自分の娘達はダンスを習ってます。

そこのスターチームのOGたちの呟きをたまたま見ました。

娘達からしても、僕からしても、彼女達はスーパースターでした。けど…

「もうダンス離れてしまったから…」

「私達が築いて来た道があるからこそと言うことを自覚して、感謝してほしい」

おいおい…マジか…

20代で後ろ見てどうすんねん。

高校時代という一生に一度の輝きの時期

確かに理解できる。高校時代って、ちょうどよく世界が狭くて。自分の狭い世界で、自分の物差しで、自分は一番だって思い込み易いし、そういう意味で、自尊心が育まれやすい。

でも、大学に行ったり、社会にでると、すごい奴ってのが沢山いて、自分を見失うときがある。

あれ?私ってこんなもの?高校時代にちょっとの差かな?と思ってたアイツはこんなにすごかった??

みたいな。

人生なんてしょせん自己満

おっさんになって気付いた事がある。人生は結局自分との闘いなんだよね。

凄まじい成果とか、年収とか、知識とか、経験とかも、他人の比べたら、世の中には凄い奴が沢山いて当たり前だし、比べる意味なんて全くない。

普通の日常を、普通に過ごして、誰かのヒーローになることなんてなかなかなくて、年収なんてなかなか上がらなくて。

でもね。

昨日知らなかった事を知って。

昨日わからなかった事がわかって。

昨日出来なかった事が出来るようになって。

そういうひとつひとつの達成感とか、ひとつひとつのワクワク感を持ち続けられるかどうかが、人生を彩ってくれるんだよ。

脳が勝手に「出来ないかな」とか「お金かかるしな」って見ないようにしてるものを、しっかりと睨みつけて、一歩だけでも前にすすめはいいんだよ。

大乱闘スマッシユブラザーズの全キャラ全スピリットを手に入れることは難しくても、急ぐ必要はなくて、長く楽しめばいい。

人生楽しんだもん勝ちだから。

 

 

目標を決めろとか言うからややこしい

あなたは、どんな自分になりたいですが、どんな人が妬ましいですか?どんな人に憧れますか?どんな人のどんなところが気にくわないですか?

たぶん、目標設定とか夢とか言われると訳わかんなくなるんで、これでいいんです。

妬ましいのは羨ましいから

自分で自分には出来ないと思い込んでいる。でも実現してる人がいる。

本当は自分もやってみたい。でも…

って思ってるから妬ましいんですよ。

 

例えば、オリンピックの水泳選手。

水泳をやってる子たちからみたら、憧れの存在だし、羨ましい存在。

でも、スノボとかモーグルやってる子たちか、したら誰それ??ってなりますよね?

 

それと同じで、妬ましい相手というのは、自分が欲しい何かを持っている人なんです。

じゃあ、同じ道を歩んで、その人のようになれるか?なったら幸せなのか?というとNoです。

無意識ってむちゃくちゃ優秀過ぎてついていけない

先ほどのオリンピック選手の例はわかり易い例ですが、実際には何かを妬ましく思ったり、憧れたりするときには、ほとんど無意識で、感情として沸いてくるので難しいです。

でも、これは無意識脳からのヒントなんですね。

「おい!これ!お前出来るぞ!この才能あるぞ!」

たださらに難しいのが、無意識脳は、要素レベルでも、このメッセージを発してくるので、何が自分の才能なのかわからないんですね。

だから、○○という人が羨ましいとか、妬ましいとか、気にくわないと思ったときに、そこに才能があるのかな?と思って全く同じ道を歩んだとしても、そこじゃないところに無意識脳がひっかかった可能性があるので、大成しない事はあります。

ただ、やってみないとわからないですよね。

羨ましさの正体を分析しながら真似てみる

例えば僕は、男性だと金子ノブアキさんに憧れます。妻は好きじゃないそうですが(笑)…実は、昔は好きじゃなかったんです。

なぜならまだ若かった頃に、下北沢で絡まれた事があるからです。(むちゃくちゃ怖かった(笑))

でも、ドラマー金子ノブアキは好きじゃなかったけど、俳優金子ノブアキになったら、妬ましいし、憧れるし…みたいな感じなんですね。

とりあえず、無意識脳がくれたヒントを活かすために、ロン毛にしてみました(笑)

でも、簡単に真似できるところに答なんかないんですよね。

身体つき?姿勢?声の出し方?リズム感?兄弟との関係性?

とにかく真似をするしかない。そしたら、そのうちもうちょっとわかりやすいヒントが出てきます。

真似るのか難しい事を真似できた!というところまでやるのは大変ですが、やってみるための価値は絶対にあります。

30代の時に感じた「もう10年遅いかなー」

もう年だし、あと10年早かったらね。という感情は、ずっと続きます。

30代の頃に20代だったら…と思ったことは、40代になったら、30代だったらと感じる事になります。

だから、若かったらな…と思った事は、今日初めてください。

 

まとまらないのでまとめます

  • 妬みは才能のヒント
  • 考えながら妬ましい人の真似をする
  • 真似るのか難しいことを真似ると大きなヒントがくる
  • リアル空間に存在するあなたの一番下若い時は、今だ。

 

 

本気を出すということ

組織で働く人々には、いくつかの動機のパターンがあるが、それぞれの動機の人達が、それぞれの目的を達成するために働いている。

そして、その中には「本気」な人と、「なんとなく」の人がいる。

動機のパターン

一つ目は、Win-Winタイプ。

これは、組織の目標と自分の目標を一致させることが出来ていて、自分が成果をだせば、組織も成果を出せて、評価も上がる。もちろん、この評価は、報酬だけではなく、チームが盛り上がるとか、頼られる。みたいなものも含まれるタイプだ。

二つ目は、Win-Win-Winタイプ。

このタイプはもう少し視座が高く、視野も広い。自分達の組織だけでなく、取引先や顧客が助かる。成功する。まで動機になる人達だ。

色んな自己啓発書にも、こういう考え方をしようとは書いてあるものの、リアルに視野をそこまで持てる人というのは、まれではある。

自分の評価にはつながらないけれど、お客さんにとって、こうやった方が便利じゃないか?と考えて、直接的な収益に結びつかないけど改善に取り組んだりするようなタイプだ。

三つ目は、無気力タイプ。

月~金は、給料を貰うために必要最低限のタスクをこなし、無駄な残業はしない!(生活の為に残業することはある)

会議でも極力目立たないように発言を控え、出来るだけタスクを背負わないように努力するようなタイプだ。

ここまでは、いい。しかし、これ以降のタイプは厄介だ。

厄介の一つ目は、承認欲求解消タイプ。

特別扱いされることだけを求めるタイプだ。部下や同僚には、ルール遵守を求めるものの、自分だけは特別扱いされることを好み、ちょっと昔だと、セクハラ、パワハラをするようなタイプ。

特別扱いされたいが為、成果をそこそこあげてたりして、中間管理職になってる人も多い。

厄介の二つ目は、Win-Loseタイプ。

顧客も、同僚も、株主も自分の立場や処遇を守るためには、利用できるときは利用し、踏み台にするときは踏み台にする。

承認欲求解消タイプとにているけれど、このタイプは、あえて敵を潰したり、情報共有を避けたりする。

○○さんが一番詳しい。を必死に作ろうとする点が、承認欲求解消タイプと異なる点だ。

ほとんどの人は「なんとなく」だ

残念ながら、会社員の多くは、本気では働いていない。もちろん、創業者は本気だが、取締役とか監査役みたいな立場の人でも、「本気」で働いているひとは、ごく少数なのである。

まあ、これはわからなくもない。なぜなら、人生=仕事なんて人はそうそういないからだ。

本気の厄介タイプ達

さらに、組織で「本気」な人には、実は厄介2タイプが結構な割合で含まれている。

  • あえて面倒な仕事を引き受ける
  • 情報を回さない
  • 委託先納品物を勝手に不要と処理して、処分する。
  • 責任を避けるが「担当」「チェッカー」の役割を進んで引き受ける。

こういう人には要注意だ。本気な厄介タイプは、バレなければどんな卑怯な手口でも、躊躇なく実行する。組織に明らかに損が降りかかるとわかっていても、自分の責任にかならないなら、平気だ。

どう対処するべきか

組織では基本的には、Win-WinタイプやWin-Win-Winタイプだけが働いて欲しいものだと思うが、現実的ではない。

そこで、本気な厄介タイプへの対処法が必要だ。

経営サイドは簡単だ。

従業員へのヒアリングを丁寧に行えば、現場では多くの人が厄介タイプを把握している。

単独担当業務を与え、実力を計ったりしたらいい。

困るのは現場サイドだ。

出来る対処法は、あえて独り行動をさせないか、褒め殺しだ。

戦ってはいけない。丁寧に記録を残せば、厄介タイプは自滅する事が多いからだ。

百戦錬磨の厄介タイプもいるので、丁寧に証拠を集めておく必要がある。

糞みたいな連中の中でイキる覚悟

あー本文無しで投稿しちまったw

 

僕らは糞みたいな連中の中で生きるしかなか。

残念ながら。

保身。忖度。そんなんばっかよ。

 

でも、女の子達はずっとやらされてきてるのよね。

セクハラオヤジを交わし、ワンチャン感を匂わせつつ。

 

俺は、一旦死んだふりをするね

謙虚さはいつ失われるのか

自分に自信を持つことは大事なことだ。しかしそれは、他人から学ぶものは無い!と確信する事とは違う。

自分に自信があるからこそ、他人の専門性に敬意を持って、より学ぶことにつながるのが、本来のはずだ。

いつもしくは何故、この「学ぶ謙虚さ」は失われてしまうのだろうか?

立場に惑わされること

とりわけこれは会社での事になるが、部下を持つとか、同期の中で一番早く出世するというような事をキッカケに、謙虚さを失う人達がいる。

私の中では、これが最大の謎なのである。

組織において、人はそれぞれの機能を担う事になる。どんなに賢かろうが、組織に存在するありとあらゆる課題、機会を網羅的かつ完璧にクリアする事は不可能である。

もし、そんな事が実現出来るのであれば、ひとりでビジネスをすればいい。

そうではないのならば、それぞれの環境において、最適化された解が導きだされているはずだ。

もちろん、傍目八目という言葉もあるように、客観的立場からの方が、課題や機会について効率的かつ効果的な手法が見える可能性はある。

それは、単なる思い込みや、固定観念に縛られていないからこそ生み出されている効果であり、ヒントは生み出せても、解になりうるかどうかは、検証してみないと何とも言えないものである。

やったことあることしかしない人

これに関連して、マウントをとりたいが為に、やったことしかやらない人というのが出て来る。

せっかくCFOになったのに、いつまでも経理仕訳を1円単位で検証したり、社内規程の誤字脱字チェックをやり続け、ミスを発見しては指摘する。みたいな事をやり続ける人達だ。

彼らは、本来やるべき仕事をしばしば放置する。そして、出来ない理由を部下のミスのせいにして、逃げ続けるのだ。

絶対成長と相対成長

私の娘がダンスを習っているのだが、ダンスのスクールでも同様の問題が発生するらしい。

ある振り付けで踊った際に、その姿を動画で録画し、コマ送りしながら、あなたのここが出来ていない。間違っている。私がこの中では一番上手い。みたいな。

新しいジャンルについては、挑戦せずに、失敗を笑う。

なんだこの内向き。

これについて、娘は、「不快だけど、そういう人がいるのは仕方ない。ただ、そういう人でも、得意なジャンルでは、いいダンスをするから、盗めるものは盗む。」と開き直っている。

「別に私は、このチームで一番上手い。と安心するためにダンスをしてるわけじゃなくて、やったことない振り付けや、自分がかっこいいと思う事が出来るようになるために習っているから」

そういうことか。視線の先がどこにあるのかが懸賞さの有無につながるのか!と学ぶ事ができた。

私の超えるべき相手は昨日の自分

目標を設定しクリアするというやり方ではなく、昨日の自分より出来る自分になる。というやり方の方が、謙虚さを失わなくて済むのではないか?

よく言う指数関数的成長ではないが、毎日1%の成長にコミットしていれば、見なければならないのは自分であるし、なにからでも学ばなければ、成長を継続するとこは出来ない。

となると、日記は必須

そう考えると、日記は必ずつけなければならない。そうでなければ、自分の僅かな成長を確認することは不可能である。

めんどくさいけど。