成功の為の執念、執着は是か非か
これは、私自身が成功者じゃないから、是なんだか非なんだかわからん。
だけれども、仏教の教えによると、執着はダメらしい。
確かに、人間誰しもがいつか死ぬ。
その時には、全て手放して無くなるわけだから、執着しても仕方ないように思える。
要は、早いか遅いかの話だ。
君たち、 漫画から漫画の勉強するのはやめなさい。
タイトルは、手塚治虫先生が、赤塚不二夫先生達に送ったと言われるアドバイスです。
漫画家は漫画から学ぶのではなく、一流の映画、絵画、演劇、音楽などから何かを学び取り、自分の地肉にしてから、自分のものとして、漫画で表現するのだ。という意味合いらしいです。
仕事も同じですね。
一流の漫画やダンス、スポーツ、映画、小説、あらゆるものから「何か」を学び取らないといけないですね。
と考えると、前述の手塚治虫先生の教えは、漫画から学ぶな。ではなく、漫画からだけ学なぶな。という事なんだろうなと思います。
あらゆる事から学び取り、漫画に込めろということなんでしょう。
漫画家って、芸人さんもですけど、表現を仕事にするとアウトプットが全てになるので、大変ですね。インプットの質がほぼ仕事の質に直結する。
ん?別に職業関係ないか!!
競争が激しい業種だと、アウトプットの質が高くないと生き残れない。そのためには、インプットの質も高くしなきゃなんない。
サラリーマンも本当は同じですね。
仕事の中で最終成果物としてアウトプットするものが少なかったりするなら、他の方法で、インプットしたものをアウトプットに繋げる訓練をしつつ、インプットの質を高めていく事をやった方がいい。
いや、まてよ。
これからの世の中は、そうしないと生き残っない世の中になるのかも知れない。
最初のうちは、アウトプットが足りなくて、やりたい事が出来ない。くらいなんでしょうけど、だんだん生き残れなくなる。
なんか、不平不満とか愚痴とか言ってる場合じゃないですね
見当たらないのは危機感でした
危機感と表現したらよいのか、適度な緊張感と表現したらよいのか、真摯さと表現したら良いのか悩むところであるが、「これ」がないと、物事は上手く行かない。
恐怖とか不安とか焦りじゃなくて、「これ」があるから行動する。となるのが、健全な姿だ。
儲かってるから「このままでいい」みたいな調子で「これ」を見失うと、そこから衰退がはじまるものだ。
ただ、正直難しいよね。自己評価というか、自分を大切にする気持ちが死んでると、「これ」は生まれない。
40越えて気づくのも遅いんだけど、何かを失う恐怖に駆られて生きてきた気がする。妻とか子供とか収入とか。借金返せないじゃん!みたいな。
よくよく考えると、そんな状況じゃ上手く行かない。なぜなら、長期的な視野で物事が見れないからだ。不安が解消されると、疲れでなにかをするのでなく、休みたくなる。
ありとあらゆる事を諦めて生きてきた。バイクの免許、スノボ、バンド、海外駐在、起業。
手に入れるというか、やるチャンスはいくらでもあったが、恐怖に負けた。
ああ。むちゃくそダサいよ。
でも、これまではそう生きてきたから、仕方がない。
でも、気付いたんだよね。
まだ、体が動く年でよかった。
自分に正直に、変化を恐れずに生きて行けばいいんだ。
家族から反対されるなら、孤独になればいい。
金がなくなりゃ破産すりゃいい。
でも、アホのように家族を捨て、金を使うなんてしたくもないんだよな。
じゃあ何をするのか?
自分がな大切にしている価値観を大切に生きるだけだよね。
真摯に伸びようと頑張る仲間の色んな価値観を多様性と受け止め、リスペクトしあいながら、世の中にインパクトのある製品やらサービスを届ける組織に貢献する。
起業はあまりこだわらなくなった。別に社長になりたいわけじゃないかな。
自分がやると決めた事を確実にやりきる残りの人生を生きていく。それだけだね。
悲しい現実
ベンチャーが大企業に買われ、最大の悲しい現実は、会社でやられる営みのメインが、事業から政治に変わる事だ。
かつては皆、お客さんに選んでもらうには?選んで良かったと思ってもらうには?期待を越えるには?
という発想だったものが、出世競争の為の空気読み合戦がはじまり、誰もお客様のことなんて見なくなる。
権限者の顔色が最大関心事。空気を読まない人間は淘汰される。
どこかで見た光景だなと思っていたら、中学高校時代の姿だ。
こんな事ばっかりやってるから、日本からはあんまり世界的企業が出ないんだろうな。
私は空気が読めるけど、あえて読めないふりをしていたい。お客様にどう伝え、どう選んでもらい、リピートしてもらうかを考えていたい。
まあ、それも政治的っちゃあ政治的だけど、おっさんのご機嫌とるくらいなら、女の子のご機嫌とってたほうかマシだし、それよりはお客様のご機嫌とってたほうがマシだ。
お客様のご機嫌をとるというと、語弊があるな。お客様の欲求を考えるか。
偉そうな事は言えないよね。普通の神経ならばさ。
あなたは大成功しましたか?
いえ。大成功はしてません。
たいていの人は、こうだよね。
でも、世の中には沢山の先生達がいる。
これは、詐欺ではないのかな?
凄そうという学歴やらが資格やらが価値を持ち、誰も実力を見ない。
そんな世の中が早く終わってほしい。
もちろん、そんな世界で生き残っていく自信はないけれどね。
昔、当社で働いてたあるエンジニアが、とあるスタートアップの重職として、紹介されてるのをみた。
いやいや彼は技術的な知識も実力も足りないよ?最終的には、セクハラするよ?
そんなことばっかりだ。
彼のつくる資料があまりにもわかりつらい。
したり顔で語る法務知識も、5年前からアップデートされず参考にならない。
プロマネ出来ない。
虚偽報告する。
つめたらやめた。
そして、同業他社の執行役員になった。
本当につまらない。
でも、そんなもんだし、世の中はほぼそんな感じなのだ。
あなたの先生は、輝かしい実績を持っていますか?その実績は、主体者として成し遂げたものですか?
良く見極めなければならない。
諦めないが肝心
人は心変わりしやすい。易きに流れるし、流行に流される。基本的に利己的で、公共の利益を声高に叫びながら、私利私欲を満たす事に懸命だ。
だが、そんなものだ。
木を見て森を見ずという言葉がある。これは、枝葉末節にとらわれ全体を俯瞰して見ることが出来ない様を言い表すのだが、人を見るときは、決して森を見ては行けない。
なぜなら、そこには失望しかないからだ。
どんなに高名な人だろうが、高学歴だろうが、高収入だろうが関係ない。
公共の利益を大切にし、私利私欲の薄い人に出会うというのは、サハラ砂漠でダイアモンドを探すようなものだろう。
だから、他人に期待してはいけない。そんなものなのだ。社長は、従業員の雇用よりも自分の役員報酬の額面が大切なのだ。
役員は、自分より優秀な若手を恐れ、全力で潰しにかかるし、部長は新卒入社の女の子を出張同行させて抱く事しか考えてない。いまどきは、いねーか。
であれば、どうするか。
自分がなるしかない。
とてもとても険しい道のりだ。相当な実力がなければ、腹黒野郎に潰される。
期待しても無理だ。その腹黒の上司もまた腹黒なのだ。
限界を超えるには忙しさに流されないこだわりが不可欠
本日、休日出勤をしたのだが、かなり充実した1日となった。やはり、割り込みタスクが入ってこないからだと考えると、割り込みタスクというのは、生産性への影響が大きいのだなぁと痛感させられる。
限界なほど働けない40代
いや、言い訳するんじゃないけど、40代にもなると、勘所ってやつがよくよくわかってきて、限界まで自分を追い込むのが難しくなる。
こうすれば、工数減らせるなー、納期のばせるなーみたいなアイデアがいくらでも湧いてしまうのだ。
良いことのような、残念なような、複雑な感じだ。
限界まで働かないからといって…
意味も無くサボるようになると、いよいよ会社のお荷物になる。みなさんの身の回りにも、yahooニュースにやたら敏感な部長とかいません?
これは完全にお荷物コースの入り口にいるということだ。
ネットニュースというのは、万人向けだし、気軽に眺められるように、本当に掘り下げゼロで流される。
知らなくても済むような話題がほとんどだ。
やはり、やけにNGT48の問題に意見を持っている部長とか、ほんと、仕事してくれよと言いたくなる。
40代はインプットとアウトプットを磨け
恐らく、40代になると人間は衰えを自覚出来るようになる。いや、違うな。自覚症状のある衰えに直面する。だな。
老眼。体の痛み。頻尿。ストレートネック。腱鞘炎。肌荒れ。胃もたれ。
書いていて憂鬱になった。
そして、自覚症状があるかどうかわからないが、「脳」も確実に衰えているのだ。
使わないと衰えるの法則
これは、筋トレの世界でもそうなのだが、使わない筋肉は小さくなる。筋肉が落ちるという奴だ。
だから、50になっても60になっても、動く身体を維持したければ、40代で運動習慣をつけることが欠かせないらしい。
確かに、水泳とかやってる上司はそうでもないが、本当に肩が上がらない。物理的に首が回らない上司がたくさんいる。
肉体がそうなのだから、脳も肉体の一部であり、これと同じ作用が働くと思われる。
では、どうすればいいか?
使うのだ。
インプット、考える、記憶する、アウトプットする。
いずれも使わなければ衰える機能だ。
Yahoo!ニュースを読解するレベルのトレーニングでは、全然効果がない。
恥ずかしながらアウトプット
今まさに私はアウトプットしているが、ほんと、誰でもわかってるような事をアウトプットしているなぁと恥ずかしくはなる。
しかし、聞いた事があるような話だとか、そりゃそうよねというような話でも、当事者から聞くとよりリアルさが伝わるのではないか?と思い書いているのだ。
私も30代までは、阿呆みたいに長時間無理矢理働いたりしていたし、どれだけ無理をしても平気だと思っていた。
「え?飲み会?行く行く。」
「二次会?帰るとか言ってる奴だれだよ!?」
「終電無くなっちゃったから、カラオケ行こうぜ。」
「よし、サウナだけちょっと寄って、そのまま仕事すっかねー」
阿呆ですな。
だから成功はしていないっ!
まあ、こんな日々を送ってきたからこそ、成功していないのだなと反省することしか無いのだが、40を超え、明らかな衰えに直面して狼狽しても取り返しはつかない。
ワンチャン予兆で気づいたラッキーを大切にし、仕事だけでなく、身体や勉強やアウトプットを複合して限界を超えて行きたい。
って決意表明かよっ!