Focus notes

幸せに生きるためには、戦略的コミュニケーション技術が必要なのです。

その場しのぎ文化

現実を直視し、課題を明確にしつつ、タスク抽出を行い、課題を解決する。

もちろん、課題は重要なものである必要はあるが、このように振る舞う人がいる一方で、自分の責任にならないようにという一点だけで立ち回り、他人の責任追求は嬉々としてやる。

自分に刃が向きそうなときは、言い逃れの余地を残すことに長けている人がいる。

 

外資も同じかも知れないが、日本的企業においては、後者の方が重用されがちだ。

 

自分が経営トップになったことがないので、どういうことなのか皆目見当がつかない。

 

ただ、そんな人生糞くらえだ。

金がどれだけあろうと、意味がない。

日没を見ながらCreedを聞くと人生をリセットしたくなる

人って流されるよね。雰囲気に。

知ってるならどうすればいいかって?

それは、

フルパワーで行ける環境を作る

若かりし頃、一生懸命やれない奴と一括りにされるのが、むちゃくちゃ嫌いだった。

だから、周りの雰囲気に流されずに、自分らしく生きるには、どうすればいいか?ってばかり考えていた。

まあ、厨二病ってやつね。

そのせいなのか、どんな環境であろうとも、勝てる方法はあるし、諦めたらそこで試合終了だわっ!って固定観念カッチコチになってしまっていた。

この環境とか、関係ないわっ!って考え方はヤバイので、今まさにそんな中にいる人は、早く目覚めて欲しい。取り返しがつかなくなる前に。

環境が合ってないなかで、気力でがんばると、気力の半分くらいは、我慢や怒りで消費されてしまう。そして、周りの環境悪化中に流されてる連中と自分を比較してしまうので、わりといけてんじゃんと勘違いし易いのだ…。

これ、厳し目にいうと、世の中の流れや社会の変化に基づいた自分なりのビジョンを持ち、トレンドとなる環境を予測して、積極的に流されに行くという努力を怠るな!ということなのである。

耐えるより流れを作る

リクルートの旧・社訓?で、「自ら機会を創りだし、機会によって自らを変えよ」という言葉があるらしい。

これ、私は少し勘違いしていた。

本当は、「自ら機会を創りだし…とはいったものの、いい機会が創れる分野をちゃんと調査してトレンドをちゃんと読めよ!ゼロからトレンドを生み出すのはむちゃくちゃ効率悪いし、能力いる。すでに生まれてる大きなうねりの中に自分が乗れる機会をつくるのだよ。さらに機会によってしか、自らを変えるのは難しい。つまり、自ら機会を創ろうとしないことは、怠惰でしかない。」だったのだ。

愚痴るより手を打つ

今の環境に○○がない。経営者に当事者意識がない。とか、部長クラスに危機感がない。とか、ほんと、どーでもいい。

その愚痴をこぼしている暇があったら、自分が次やってみたいことがどうやったら実現できるか?そのためには何をすべきか?課題として捉え、タスク抽出し、対応していった方がいい。

これを気力だけでやろうとすると、失敗しやすい。自分を流してくれる環境を作るのが一番いい。

詐欺師には注意ね

情報商材系のサロンとかは、これにあたるっぽくみえるけど、実際はたぶん効果がない。

なぜなら、流される方向が下だからだ。

教祖様に金を払ってセミナーを受けて勉強したきになれば安心。

これはヤバイ。

インプット進めてくるのは、大抵詐欺だな。

たぶん、高いアウトプットの集団に入って、やべー追いつかなきゃ!って自分で頑張る。っていうのしか、効き目ない。

自分の興味ある分野から少しかじり、追い込まれる環境をどう作るか自分で考え、情報商材クソヤローに騙されないように頑張ってみよう!

トレンドにある分野と古い分野の天と地の差

ちなみに、前職の半導体メーカーが血のにじむような努力の末作り上げる年間の粗利は、フィンテック企業の30%くらいでしかない。

 

 

無敵の人に思うこと

昨日、川崎で通り魔事件が起きた。

失うものが何もない年齢だけ中年の糞ガキが、未来のある小学校にダメージを与えた。2人も亡くなってる。

ひとりで勝手に死ねよ。って意見があるけど、うん、気持ちはわかるけどこういう奴は無理なんだよね。それ。

なんか、勝手な理論で正義のつもりでやってるか、たんなる性癖だと思うんだけど、たぶん子供の頃から全てを他人のせいにして生きてきたなれの果てだと思う。

今、就職氷河期時代の僕らは、35~45くらいだから、あと5年くらいで、町中には絶望中年が溢れることになる。

確かに就職氷河期は、天災みたいなもんで、何も悪いことしてないのに、大卒の働き口が無くなったけど、まあ、それとこれとはまた違う話なのだが、彼らは被害者ぶるのが心地よくてやめない。

中年は絶望

若い人達には絶対わからないと思うけど、アラフォーになるとありとあらゆる事に衰えを感じるんだ。

死のリアリティが半端ない。

そして、あー折り返したな。

残りの人生辛ぇなあ、もう死んでもいいかなぁ。

この感じ、昔はわからなかったけど、今は共感できる。

ここに妻がいたり、子供がいたり、両親が介護が必要だったり、ペットがいたりすると、「俺がしっかりしなきゃ!」と思えるんだけど、完全にひとりの人生だったら、踏ん張りが効かないかもしれない。

僕はなんでもかんでも自己責任だっていう世の中の風潮は好きではない。なぜなら、100%自己責任なんか有り得ないからだ。非難する対象と全く同じような人生を生きた上で、自己責任だ甘えだとか言うなら、それは言っていいと思うけど、恵まれた立場で、自己責任だ甘えだの言ってほしくない。

備えよ!

たぶん、この無敵の人たちはいつどう攻撃をしてくるか読めない。ただ、糞弱だから、弱者しか攻撃しないはず。そいつの人生と同じで、スライムとしか戦わないと思う。

ちょっとドラキーに挑戦してみたりすれば、開けたかもしれないのに、スライムベスにすら逃げて来た人達なので。

対処方法は、女子供の集団には中年は近づかせない。だよね。警備員以外。

警備員も中年はだめだな。

女子供をまともな人間で守りたいね。

50歳になったら、選民しても良いかも。

思想が許容できる範囲内に収まってるかどうかチェックする。

AIとかで自動判別して強制労働とかでもいいかもな。

電車の中で肩肘張ってまわりに迷惑かけるの大抵がおっさんだし。

 

 

 

本質的価値とは代替不可能性

物事の本質的価値とは何か定義しようと何故だか思いついてしまい、ずっと考えていたのだが、代替不可能性にあるのではないかという結論にたどり着いた。

簡単な問い

会社の後輩が、親会社の株主総会と、授業参観日が同日になってしまい、どちらに出席するかを悩んでいた。

 

こんなのは即答だ。

授業参観日に決まってる。まあ、これは、たぶん価値観によるのだけれども、なんか、上司の心証とかそういうのにかけがえがないと考える人は、仕事を選ぶだろうし、子供にとっての父親は自分しかいないという事実に向き合える人間なら、授業参観を選ぶ。

生物学的事実として

私がかけがえのない一人の人間としての価値を有することを保証してくれるのは、子ども達くらいか。彼女たちにとって、血のつながりがある父親は、私以外に存在しない。絶対に。

これは生物学的に普遍なのである。つまり、彼女たちの父親としての希少価値がむちゃくちゃ高いということだ。

妻とは?

では、妻にとっての私はどうだろう。現時点では、夫であるが、普遍性はない。代替可能性はある。残念だ。

しかし、夫婦として20年近く過ごした人間関係という意味では、代替可能性は限り無く低くなる。

ただこれも、なかなか定義が難しいものではある。なぜなら、結婚○年目から、もはやATMとしかみなしてなかった。という話になるならば、代替可能性がぐっと高くなる。

こちらはかけがえのない妻と考えていたけれども、相手はATMと考えている。という関係の場合はどうなるだろうか?

この場合は、こちらにとっての代替可能性が低く、相手にとっては、いつでも代替できる。ということになるか。

存在価値と利用価値

いや、なんかだんだん悲しくなってきたな。

いるだけで価値って思ってもらえるのは難しいよね。恋愛中の恋人同士でくらいしか成立しない。まあ、そこも、利用価値しか見いださない人いるけどね。

価値判断を他人に依存したらおしまい

こちらが感じる価値と他人の感じる価値は異なって当たり前で、その価値とは、代替可能性の有無による話してきた。

生物学的血のつながりだけは普遍だが、

TOKIO&中嶋みゆき的人生のオールを任せるなを実現するには、可変であるそれ以外を他人がどう評価してくれているかでなく、自分がどう感じるかに重きをおけば良いということであり、人生とは実にSimpleである。

死ぬ気でやってみ?死なないから。

あー懐かしい響き!

私が社会に出た頃にマネジメントによく言われてたな。

確かに死ななかったよ。その時は。

 

ただ、死に向かう悪癖を身につけてしまったかな。

 

一生懸命頑張れば報われる。ってやつね。

 

これ、ごめん、嘘だぜ。

 

真実は、ベースとなるスキルを積み重ねつつ、トレンドを見つけてキャッチアップして、なんかそれっぽっい感じになれば、生き残れる。だ。

 

どんなに仕事出来なくても、それっぽい人って生き残るんだよね。食えない分野を極めた人って、消えていく。

 

とりあえず新しいものを見つけたら、試してみるのを強くおすすめする。

 

お金かかりすぎるのはいまいちだけどね。

 

 

 

 

世の中金が全てではない!ほとんどなだけだ(笑)

ちょっと尊敬していた人が、めちゃくちゃな取締役(セクハラ野郎)に媚び諂っている姿をみると、悲しい気持ちとすげえなぁという気持ちと両方沸いてくる。

 

保身の為にそこまで出来るほど、スーパーサラリーマンになり切れないですよ。僕は。

まあ、なりたくもないけれど。

 

ただ、やっぱりそういう風景を見てしまうと、「世の中結局金が全てかよ。」と思ってしまう。

 

ただ、まあ、全ては言い過ぎだな。金と権力だな。

 

どんなに大金持ちだろうと、株式ではない資産で個人として儲けている人は、何の権力もないから、物足りなさを感じるんじゃなかろうか?だから、会社に居続ける。

 

まあ、金と権力が目的って複雑だよね。それを手に入れて、勝手気ままに振る舞って、何が楽しいのか理解ができない。

別に金も権力もなくても、勝手気ままに振る舞う事は出来るし。

 

ただ、子ども達に飯を食わせなきゃなんないから、ちょっと金儲け頑張るかな。くらいがちょうどいいな。

 

早く終わらせよー