Focus notes

幸せに生きるためには、戦略的コミュニケーション技術が必要なのです。

中途採用者に対する初日の接し方

皆さん。人見知りですか?

僕は人見知りです!

 

今日、うちの部署に新人さん(中途採用アラサー男子)が入社して参りました~。

とはいえ、株主総会準備の真っ只中。

話しかけてあげる余裕もないまま、午前が終わり、部署全員(5名)でランチへ。

 

やっぱり初日って、独特の緊張感がありますよね。みんなわちゃわちゃ話しかけますが、緊張感は解けません。

 

僕は今日はちょい失敗したなーと反省しました。冷たかったですね。ちょいと。

 

実は僕、大学生の頃、新人アルバイト女子さんを紹介してもらった直後に、泣かせてしまった事があります。

 

どんな酷いことをしたのかというと、ボディータッチ。

ウソです。握手です。

 

その当時、レンタルビデオで洋画ドラマを見まくっていた影響で、「やあ、ようこそ。僕たちのチームへ。歓迎するよ。」って握手をしたんですね。

 

そしたら、その子が、ブワ~って涙浮かべて泣き始めちゃったんです。

 

お前がふざけた挨拶するからっ!って社員さんに怒られそうになったんですが、

「違うんです。」って。

 

そのアルバイト女子は、実は高卒で社会人やってたんですが、職場イジメにあって引きこもりこもりん。ようやく社会復帰のアルバイト初日ということで、不安で不安で仕方がなかったそうなんです。

 

でも、いきなり握手を求められて、ようこそ。歓迎するよ。って言われて、

「ここならやっていける!」って安心したそうなんです。

 

俺イケてるっしょ話ではないんです。

僕は、その時からいつも、このアメリカドラマかぶれ挨拶をするようになりました。

挨拶しながら握手しただけで、泣くほど安心してもらえるって、凄い、って思ったからです。

 

でも、今日はそれをしなかった。

 

申し訳ない。

 

でも、やっちまったもんは、仕方がない。

 

なぜなら、一期一会。

やっぱり必殺技は一発目から出さないとですね。

相手の期待を常に越える。それは、自分自身を常に越えないと実現できない。

 

今日もおつかれさまでした。

cynical=くそったれ

今日、帰りの新幹線の中で盛大に酒盛りをやってる先輩方がいらっしゃいました。

 

ネタは、政治・経済・国際・マスコミ・文化など多岐に渡り、どっかで聞いたことのある話に花が咲いていました。

 

僕は、半年前くらいの自分が恥ずかしくなってしまいました。

 

おっさんって、なんで偉そうに語るんでしょうね。(自戒を込めて)

「まだまだ世の中がわかって無いんだよなー」とか、「中国に出張って言われても、嬉しくないよね」とか仰ってましたが(笑)

 

話の最後には、

「日本はもう落ちぶれていくだけだから、今の若い奴らが可哀想だね」と、爆笑。

 

??

 

なぜ、笑う?

 

シニカルな笑い。寒気がします。

自分たちに何か出来ないかね?って発想にならないんですね。

 

僕はアラフォーにして小粒ですが、縁のある7人に何か気づくきっかけをもってもらえるために、何かしたいです。

 

アジアの活気のある中で、ビジネスしたいという思いもありますが、先輩方が頼りないので、まずは日本で頑張ります。

 

偉大なちょい先輩や、グレートな後輩達もいます。微力かもしれないけど、多所懸命におもしろがりながらがんばるぞ!

 

 

昭和スタイル

僕は昭和生まれ。会社も昭和スタイル。

やっぱ、淘汰されますよ、変わらないと。

 

昭和スタイルの本質は何かと考えると、僕は、

「根拠のない明るい未来」を前提にしている。ってことだと思います。

 

当時は、根拠のない明るい未来じゃなかったんだと思います。

誰かのアイデアに乗っかっているだけで、経済成長の波に流されて、

それなりの生活ができる時代。

 

会社の人事も年功序列だけでOK。今我慢すれば、将来は、たいして仕事しなくても

下が敬ってくれて、高い給料がもらえ、退職金もがっちり。

退職したら、ちょっと田舎でカフェでもやって、年金+アルファで悠々自適な生活が

送れる。

 

明るい未来のために、今を我慢する。

 

それが、昭和スタイル。

 

でも、このスタイル、もう無理ですよ。

世界は、日々変化している。

 

当社は、典型的な「昭和スタイル」の会社。

年間計画は、期末に向かって右肩上がり。

中期計画は、3年目向かって右肩上がり。

じゃあ、そのストーリーは・・・・ない。

 

でも、みんな根性論でがんばる。3年後のプランまで見えている人なんて、

誰もいない。

 

それが昭和スタイル。

 

なぜかタイムカードを切って働いているやつがいる。

評価は不透明そして不公正。

銀行から天下りしてきた役員がいる。

簿記3級程度の知識もない管理職がごろごろ。

 

それが昭和スタイル。

 

昭和スタイル=日本らしさと思ってる人が多い。

「集団意識」「内と外」「レッテル貼り」「お上と庶民」

もう、やめよう。

 

僕らは、「個」が輝かなきゃいけないし、「今」懸命じゃなきゃいけない。

「仕事」をするんじゃなく、「はたらく」んだ。

 

少なくとも僕は、「はたらく」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自らのスタイルを持つ事

スタイルやスタンスの生まれ方

よく「独自のスタイル」とか言われますし、「●●というスタンスで仕事に臨む」とかって言いますけど、いつ生まれるのか?とか、意識したことありますか?

 

僕は、ある程度こういうスタイルで行こう。とかスタンスでいこうというような事を決めて、自分の身にまとい続けて、ある程度の期間を経て生まれると思っていました。

 

突然後輩が語り出したぼくのスタイル

先輩は、アウトドア好きでカバンにこだわる派ですよね?

ある日、突然後輩に言われました。

ん…はい?誰かと間違えてない?

しかし後輩は、私が出張にいつも持っていっていたウエストポーチを見てそう思ったようなのです。

どんなものか紹介しようと探しましたが、もう存在しないようです。見つかりません。

 

そのウエストポーチというは、NIKE ACGというブランドのもので、約15年ほど前にどなたかに頂いたものです。財布とスマホとパスポートを持ち歩く際に、丁度いいサイズのものが他になく、新しいカバンが欲しいけど、優先順位は後だな~と思っていて、極端に言うと、嫌々使っているものでした。

 

また、

僕は新たに通勤カバンをコールマンさんのリュックに変えてしまいました。

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15年以上も昔のアウトドアブランドのウエストポーチを現役でこだわって使い続けて、最近のビジネスリュックの流行る1年ほど前から、アウトドアブランドのリュックを持ち歩いている。

そりゃ「アウトドア好きでカバンにこだわる派」だと思われますよね(笑) 

 

でも、自覚はゼロです。そんな気さらさらありませんでした。

むしろ変えよう、変えようと何度も思っていた矢先で、びっくりしました。

いわゆる、消極的選択の継続も、端から見たら、積極的肯定と特に差があるわけでは無いので、スタイルの表れになるんだと気づいた瞬間でした。

 

これ、凄く大事な気がします。

いつも人に合わせてそれなりのご飯を食べている人

職場の付き合いに誘われた時、気分が乗らなくても断れない人

継続していると、それは、いつの間にか、あなたのスタイルと認識されてしまいます。

 

では、スタンスはどうでしょう。

きっと、これも同じですね。仕事の仕方や振る舞い方にある一貫したものがあると、スタンス。と言われるようになる気がします。

 

僕は、取締役会にて意見を求められたら、相手が取締役だろうが、自分の意見をきっぱりと言うスタンスです。なので、最近、取締役会では、解説は求められますが、意見は発言させてもらえません(笑)

 

今日は、自らのスタイル、スタンスは、積極的肯定だけでなく、消極的選択であったとしても、できあかっていくものだ。という事について書きました。

 

最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

体調を壊し、大学生層満載の電車で通勤

学生さんたちの何気ない会話を聞いていると、私も、上京から25年。結婚生活16年。子育て生活15年。あっという間だったなーと感傷的になります。

 

あの時より、悩み事は減っただろうか?

→減ってない。

不満に思っていたことは、解決しただろうか?

→してない。

 

なんでやねん…という風に考えると、今が楽しめなくなっちゃいますね。

 

25年間でどれだけ世の中の役にたてたかな?これから定年まで23~8年で、どれだけ世の中の役にたてるかな?

 

おっと、そう考えると、がんばるぞ!とやる気が湧いてきますね。

 

今、この瞬間を、利他の気持ちで。

 

注)ただ、人事を尽くして天命を待つが基本ですので、戦略的計画と実行は必須ですよ。

事実と意見と空想と

ども。

 

思春期の娘の相談にのっていて、他の誰かにも伝えたいなーと思ったことをいくつか。

 

事の背景

娘からの相談は、

部活でも、クラスでも、生徒会でも明るく楽しい人物像を演じなければならないのが辛い。本当の自分って何なのか分からない。

という相談です。

 

むちゃくちゃ可愛くないですか?THE思春期!!って感じで。

 

ま、恐らくは、こういう系の悩みなんて、ふんふんそうなんだーそれはつらいねーとかって同調しつつ話を聞いてれば自ずと解決へ向かうのですが、とっとと整理したい人のために、書いていきたいと思います。

 

物事には事実と空想がある

私たちの身の回りに起きることは、大きく2つに分ける事が出来ます。

それは、事実と空想です。現時点という時間軸でいうと、事実は、変えようがなく、空想は自分自身の認識を変えることで変えることができます。

たとえば、気温。

現在、エアコンの温度が25度に設定されています。

これは事実。変えようがない。

暑いけど、女性が多い職場だから、このくらいの温度設定なんだろうな。

これは、空想。

だから、瞬間的に変えることが出来ます。

暑いけど、まだ朝だし。

これでも成立しますし、

そもそも、この設定温度を暑いと感じてる俺って、もしかしてデブ?

でも、成立します。

 

娘はどんな空想をしてるのか?

本当の自分が解らないって時は、人にどう見られるか?を意識し過ぎてて、無理をしてる状態ですね。

 

では、どうするか?

 

こういう時は、

人が自分をどう見ているかは、解らない(事実)

無理しないで過ごしたら、嫌われるのかも(空想)

自分は今の自分の在り方を居心地悪く感じてる(事実)

それは、嫌われるよりマシ(空想)

と、今考えてることを紙に書き出してみて、事実なのか空想なのかを整理します。

 

そして、空想部分を自分の都合の良いように書き換えて行くんです。

ただ、できれば、自分も周りも気持ちいいような空想にするのがベストです。

 

たとえば、

無理しないで過ごしたら、嫌われるかも

を、

どうせ他人の気持ちなんて、解らないんだから、゛楽しい゛が、合う人と過ごそう。そのために、自分が楽しい気分で過ごそう。

騒ぐ気分じゃないときは、読書でもしよう!

それは、嫌われるよりマシ

嫌われてるかも…とか心配する暇も無いくらいに、面白い事を探そう!

みたいに。

 

言うは易く、行うは難し

ま、こういうのは慣れが必要ですよね。直ぐに上手いことはいきません。

なので、練習が必要です。練習方法は簡単です。

日記をつける。です。

日記と言っても、ちゃんとしてなくてもOKです。思ったことをぶわーっと書いてみてください。

書き終わったら、事実にのみ、アンダーラインを引いて下さい。

そして、空想部分は、楽しい空想にしてみて下さい。

 

そのうち、しっくりくる空想が浮かんで来ますので、気に入ったらやってみて下さい。

 

ただし、全裸で出歩いたら楽しい!といったような空想は、全裸で出歩いたら法に触れて、最悪捕まる。という事実には負けますので辞めてくださいね。

 

人事を尽くして天命を待つ

今日、知覧の特攻平和会館に行って来ました。

出張先の大先輩方からは、涙無しにはいられないよ。と言われ、若い人達には、1回はいってほしい場所だとご案内頂きました。

 

展示物は、太平洋戦争末期の特攻隊員が残した遺書や手紙。ゼロ戦の機体や軍服など。

ほぼ全ての手紙は、17~23歳くらいまでの方々が書かれたもので、敵艦への特攻を成功させるという決意や、親兄弟、友人への感謝が綴られていました。

 

悲しみより腹立たしさ

僕は、これらの展示物を見ながら、悲しいという気持ちではなく、込み上げてくる怒りを抑えるのに必死でした。

戦略など皆無の作戦です。きっと、陸軍上層部のメンツやら下らないもので意志決定され、尊い命がムダにされたんだと思いました。

 

特攻隊員の方々の当時の想いや、お気持ちを考えると怒りのやり場がありません。

当時の社会の状況から、致し無かったのだとは思いますが、あえて犬死にだと思いました。

 

当時の大日本帝国は、神道を国教として、自国を神の国であり、いざという時には神風が吹くのだとか訳の分からない事を言っていたのでしょう。

 

神道は本当にそんな考え方なのでしょうか?僕は、頭の悪い上層部が悪意を持って神道の考え方を歪めて利用したようにしか思えません。

 

現在のISのように。北の将軍様のように。

 

彼らはイスラム教を利用しているのだと思います。きっと上層部には、戦略も理念もなく、権力や金、色、食などあらゆる欲にまみれているのではないでしょうか。

 

僕は、心根も頭も悪い人間が、うまいこと立ち回って権力を持つ事の恐ろしさを勉強させてもらったと思いました。最悪ってやつですね。

 

ただ、思うのは、なぜこのような『最悪』が生まれてしまったのでしょうか?

正直者や心の優しい者たちは、なぜ馬鹿をみたのでしょうか?指を加えて傍観していたのでしょうか?

 

僕は、そこに、『人事を尽くして天命を待つ』という姿勢が足りなかったのだろうと思います。

 

阿呆もしくは利己主義者に権力を持たさない。目に付いたら、ちゃんと権力をはぎ取らないといけません。

潰す必要はなく、権限を無くせばいいんですね。

 

僕はこれからも覚悟を持って、阿呆+利己主義から権力を剥ぎ取る。または、覚悟なき権力者を教育することに、人事を尽くして参りたいと思います。