25年続いているということ
今、実家に来ています。
上京して約25年。4クラスあった、小・中学校は、1クラスに。近所にあった書店も、カラオケボックスも、保育園も、薬局も全部なくなっていました。
しかし、中華料理屋、ケンタッキーフライドチキン、メガネのミキ、贈答品のお菓子屋、パン屋、美容室は、未だ健在でした。
後継者問題もあるのでしょう。僕が上京するときに、40代後半だった人たちは、もう定年後です。後継者が無く、潰れて行ったお店もすくなくないと思います。
発展しているなーと思ったのは、JAでした。
いたるところにJAバンクが出来ていました。
この田舎の状況。
何もかもが終わりに向けて動いて行っているような感じ。地方は経済的に困窮していっているように思えます。
でも、25年続いている企業もあります。
小学校裏の文房具屋。その隣の自転車屋。何が違うのか?
正確にはわかりませんが、一つだけはっきりしているのは、25年続いている会社は、25年その地域に貢献しているという事です。
健全なコミュニケーションの為に必要なこと
こんにちは。出張中です!
今日は仕事っぽいことを書きたいと思います。唐突に。
人は皆、善良である
リスクアセスメントを実施する際には、参加者が発するすべての意見について
①政治的な駆け引き
②損得勘定による発言
は、無いことを確認する必要があります。
どういう事かと言うと、どんな人の意見も大切にするためです。それぞれの参加者の視点、才能が違うから、違ったリスクが検出されるのであれば、大歓迎なのですが、特定の誰かをこき下ろすツールとして使われては、たまったものじゃありません。
どうやってみわけるか?
僕は、《個人名》が悪いという意見や、《一般的には》という枕詞がつく発言は、必ず1回質問を帰すようにしています。
なぜなら、このフレーズは、損得からみの言葉である可能性が高いからです。
まず、《個人》が原因のことは、社会では当然のようにあります。ただし、その原因になってる人物が、その職務をやり続けていられる仕組みの方が問題なんです。
なぜ、配置転換しないのか?出来ない理由はなんなのか?
人は得意な分野であれば、一生懸命働きます。もし、問題が放置されたままになるのであれば、配置転換すべきだと思います。
《一般的には》は、どこスタンダード?
僕は、大企業では一般的には…とか、うちぐらいの規模の会社では一般的に…という表現は、政治的な駆け引きにしか、聞こえません。
知ってる俺すごいでしょアピール?
仕事押し付け?
そういう動機が見え隠れします。
そんなときには、正確なその情報の出所を示してもらってください。
先延ばし癖こそが、最大の悪癖
何故ウルトラマンは、最初にスペシウム光線を撃たないのでしょうか?そしたら、カラータイマーも点滅する事がないのにね。
みなさん、こんばんは。
本日は、僕が苦しい修行の末、発見した真実。「先延ばし癖こそが、最大の悪癖」について、お話したいと思います。
問題はいつも、先延ばしの先にある
人が生きていく上で、こりゃ地獄のようだな。と感じるものって、何があるでしょうか?
僕は、病、貧困、争い、だと思います。
そして、これらは、いずれも先延ばしが原因で悪化します。
僕は、これらのうち2つを乗り越え、今、もう一つの修行に取り組んでいます(笑)
まず、病。この最大の修羅場は、学生時代に訪れました。それは、親不知虫歯です。
当時、お金も時間もなく、痛むのを我慢して過ごしていたのですが、ある日、強烈な痛みと熱。まさにのたうち回って歯医者に行きました。
思っていたより安い費用(日本の保険制度最高!)そして、時間もたいしてかかりません。
なぜ、もっと早く医者に行かなかったのかと反省し、また、なぜ日々の予防をちゃんとしなかったのかと反省しました。
次に争い。この最大の修羅場は、4年ほど前になります。当時私は超パワハラ上司のもと、精神的に追い詰められていました。
クタクタになって疲れ果てて家に帰ると、キッチンのシンクには、朝からの全ての洗い物が放置。洗濯物は取り込んだまま。かみさんは育児疲れでソファーで爆睡。
終電で家に着き、そこから家事。就寝は4時近くなのに、翌朝は6時起床。
まさに、地獄のような日々を過ごしていました。
解決したのは、超パワハラ上司の退職と、かみさんとの大喧嘩です。正確には、大喧嘩後に正直に辛さを告白したことでした。
飲み込んでいた不満を、落ち着いてひとつひとつ説明すると、ひとつひとつ事情を返してくれ、本人も申しわけなさで苦しんでいた事をはじめて知りました。
なぜもっと早く、落ち着いた話し合いの場を持たなかったのかと、反省しました。
今、貧困克服修行中(笑)
今は先延ばし癖で生まれた貧困克服に取り組んでいます。
事業評価と改革を先延ばしし、パートナーとの真剣なコミュニケーション改善も先延ばしし、今、設立した会社は存亡の危機です。(自分的には、パートナーの担当事業は、いい感じかも知れません)
今、やらなければならないのは、客観的な事業評価と、戦略決定です。縮小均衡を目指すのか?清算するのか?清算するとなると、出資者にも迷惑がかかります。
パートナーも挽回に向けて頑張っていると思いますが、今後の戦略はゼロベースで見直すしかありません。
なぜ、俺、こう?
おそらくですが、子供の頃から計画無しで上手くきてしまったのが、原因だと思います。
今、思うのは、先延ばしは、①計画の甘さと、②見積もりの精度の低さ が原因で起こる事情だと思います。
特に①。制約条件であるお金と時間。これを適当にしか計画してないと、計画したけどやらない。とか、気分が乗らないからやらない。という事が発生します。
真剣に計画するためには、考え抜く必要があります。
こないだwebである記事を読みました。
某広告代理店の方が、提案するまで、100も200も考える。そして、1つに絞っていく。ということを、ずーっとされていたそうです。
これな。
考え抜く訓練しないとですね。
僕は、月に200時間働かなきゃいけない時には、働いて来ました。でも、これでは意味がありません。
なぜ?考え抜かないからです。
とりあえずやる。それだけです。
これからは、変身して登場した直後にスペシウム光線を打つような。そんな無双ぶっぱな自分になっていきたいと思います。
(ちゃんと計算した上でのぶっぱなので、正確にはぶっぱでは無いですけど)
10年後の世界に夢を見る
こんばんは!
今日は、決算短信の発表もあり、朝からバタバタしてしまい、夕方の更新となってしまいました。
今日は10年後の世界について考えてみたいと思います。
まずは自分の現在地から
42歳会社員。副業で会社を起こしたものの飛ばす。かつ、共同事業なため、改革も困難。
事業負債が結構あり、解消しなければ行けない状況です。
ただ、ベースはあるので、飛ぶ準備はできているのだけが、救いです。
たぶん、人生で今が一番闇の中です。
正直、自業自得なんですよね。今の会社を起こしたのも、昔の仲間といっちょやったるか!!っておこしたんですが、彼は自分の生活費が、稼げればそこで歩みを止めてしまうタイプ。
ほんとはその時点で、自分も何かはじめなきゃいけなかったんですが、彼の才能とビジョンに惹かれて、「待ち」の姿勢になってしまった。これは本当に大反省です。
そんなこんなで、私の売りは、会社員として培ってきたコーポレート系の実務スキルのみです。
IPO準備の為の様々な内部管理体制の整備作業、監査体制の構築、JSOX対応、監査法人対応、コーポレートガバナンスコードへの対応、監査等委員会設置会社への移行、取締役会評価制度の構築と運用、取締役会の運営、ファシリテート、リスクマネジメント構築、戦略的コミュニケーションの指導、Points of youを使ったチームビルディングとビジョンメイキングなどなどです。
さて、ここからどうやって逆転しようかなーってところです。武器は結構豊富なんで、何とかなると思っています。
10年後の日本(予想)
確定してるのは、超高齢化社会になってしまっているということ。ですが、高齢でも稼ぐ人たちが、割といるようにも思います。
祭りコンサルとか、観光客向けの寺社仏閣ツアーとか、観光農園とか。
また、今の30代の方々は、ビジネスを楽しんでいる人達がおおく、その人たちが40代にさしかかるので、年商5億行かないけど、そこそこ売り上げてるような企業がごろごろ出てきているのではないでしょうか?
むしろ企業ではなく、少数精鋭チーム!位のサイズがメインかも知れません。
今の50代の先輩方が社会から去り、個人消費は悪くないと思います。
定年後のおじいちゃん達とお茶を飲むサービスとか、ちょっとした家事手伝いサービスがうけているようにも思います。
AKBでは無いですけど、老人ホームでの活動がメインのアイドルグループとか居るかも知れませんね。会いにいけるアイドルではなく、会いに来てくれるアイドルですね。
10年後の世界(予想)いや(希望)
戦争。無くなっててくんねーかな。
自分は何をしているか。
正直、自分の人生は、ここ半年が勝負だと思っています。人生初。入試とか楽勝なとこで終わらせましたし。新入社員時代は、頑張ってましたが、やらされてましたし。
それで10年後は全く違う。今の状況を変えれなければ、家も、家族も失うでしょう。
27で、結婚してからずっと家族には頑張って貢献してきたつもりですが、どうなるのかは、わかりません。あー怖い。
ただ、いま思うのは、自分が歩みを止めていたときは、他者貢献が足りなかった時期なんです。だから、ここ半年、出来るだけ多くの人のために貢献をし、その結果起きる結果は受け入れようと思っています。
上手くいったら、10年後は、今の僕みたいな奴に金も、口も出して、ひとりでも多くのスモールビジネスをやる人間を増やしたいと思っています。
僕たちの世代は、いわゆる「護送船団社会に最適化されたマネジメント」の影響を受けて、古きよきでも、スピードが遅く、合議制で意志決定が出来ず、なんか訳の分からないこだわりのあるマネジメントを受けた最後の世代です。
先輩方の文化の悪しき部分を、若い人達には伝えず、若者たちの文化の良いところを先輩方に伝えたいと思います。
え?先輩方の文化の良いところは?って?
だいじょうぶです。今の若者たちは、良いとこどりしてるので、良きも悪しきも取り込んでるorいいとこ取りしてますので。
"はたらく"価値
いわゆる社会貢献って何のことなんだろう?考えたことありますか?
今まで「誰かの役に立つ」というキーワードで、思考停止していましたが、どんな事があるのか考えて見ました。
①人間という種の保存のために必要不可欠なものを提供すること。衣食住。男女の出会い。医療。安心・安全。防衛。
②次は、それに彩りを与えるもの。ファッション、美食・健康食、酒、housing、ガーデニング、インテリア、雑貨、家事を楽しくするもの・楽にするもの、パーティー、音楽、ドラマなどのエンターテイメント、風俗、美容、冠婚葬祭、予防、ヘルスケア、保険、教育、広告。
③次は、つながりをつくるもの。彩りについてのものを評価しあったり、シェアしたりすること。
④次は、自己実現。何者かになること。
おそらく、その上に⑤他者貢献があるのだと思います。
①に係る事業は、やることが即社会貢献であるので、その度合いを高めるには、より安くより高品質なものを、より長く提供することなのだと思います。
②に係る事業が、社会貢献を実現するには、①を助けるもの、新たな楽しみの提案、多様性への対応となり、安さや品質も多様です。
そして、③はより多くの参加者
④では、もはや価格ではなく、説得力とかになりますね。
いざという時、人は①を求めますが、①さえあれば良いというものではありません。
②があるからこそ、人はその人生を快で満たすことが可能なのだと思います。
ただ、この②がクセモノですね。ピンキリです。快を生み出すだけではない。他人の不快が快という人もいます。
ずっと①が確保されてない人たちが、②の人たちを①に困るように貶めるのが快になる。とかもありますね。
さて、では、"はたらく価値"って何でしょうか?
こう考えると、自ら働けば何にしろ"はたらく価値"があり、やらされ感が出たら、価値が無いのだと思います。ただし、他人を貶めることには、価値がありません。たまに、言うとおりにやれとか、責任とれとか言って、台無しにするような人がいますが、誰かが生み出せたはずの価値を台無しにする事になるので、そういうのは価値が無いと思います。
勝手に気にくわない相手を許す
今日、香港の現地法人の社長から、相談の電話が入りました。内容を一言でいうと、上海の社長(二人とも中国人)が気にくわないという話です(笑)
彼は真剣に怒っています。
私は間違っていない。彼(上海人)が要求してくることは理不尽だ。あなたはどっちの味方をするんだ!と。
私は、彼(香港人)に言いました。
あなたから話を聞いている限りでは、あなたが正しいと思う。しかし、私はまだ彼(上海人)の事情を知らない。だから、今ここであなたに保証を与える事はできない。
そして、3人で話し合いをする事になりました。
さて、二人は面と向かい合って喧嘩をするでしょうか?
さすがにそれはないと思います。
お互いに、勝手にお互いを気にくわないのです。だから、まず自分たちの中でだけ、相手を許そう。かといって、ひれ伏すのではなく、話し合いのテーブルに着こう。そう言って納得して貰いました。
人は誰かを責める時、自分の妄想の中のその人を責めるケースがほとんどです。
僕は長年、当社経営陣に、心の中でずっとダメレッテルを貼ってきました。
最近、それをやめたおかげで、対話がはじまってます。
夢を実現するためには、まず自分の夢を形式にこだわらず、書いてみることだ
今日は、ちょっと古いですが、この記事を読んで、今、僕が考えていることを書きたいと思います。
僕は、もともと大学入学とともに上京しました。
新聞配達を住み込みでやりながらの大学生活をおくっていました。
とはいえ、必修科目も夕刊の配達で履修することができず、
単位を落としまくり、留年してやっとのことで社会に出ました。
社会に出たときには、氷河期真っ只中。
なんとか滑り込んだ会社は、今でいう携帯アプリの開発運営会社でしたが、
研修が終わる前に資金ショートで倒産。
約半年で無職になったところをとある人材サービス会社(今でいう超絶ブラック企業)に拾われて、ボロボロになりながら5年勤めました。
その後、大手人材サービス会社に転職成功したものの、友人の求めもあり、
今のメーカーに再度転職し、今に至っています。
正直、20代の頃は月収12万程度(手取り9万とか)で、なんとかこの地獄を
抜け出したいと、借金しながらもいろんな自己啓発書を読み漁り、
実務も勉強し、セミナーも受講し、必死に必死に走っていました。
30代になり、ある程度高度な専門職的な仕事を任されたものの、
当時の上司のストレスのはけ口として、今でいうパワハラに悩まされ、
10円ハゲならぬ500円ハゲを作りながら、机にかじりついて
なんとかここまで生きてきました。
では、今は天国か?いえ。まだその途上です。
Dept-Freeまでは遠い修行中の身。(これはおそらく生活習慣の問題)
さて、僕の”ミッション”って何だい?
いよいよ42歳を迎えようとしているときにふと、上記の記事が目に飛び込んできました。そして、考えました。僕の夢って何だろう?
1.ここではすべてが思い通りになったとして本当にやりたいことを明確にします。当然、不本意ながら続けている仕事や、風呂掃除のような日常的な雑務などは考えません
2.ここでは明確な時間軸は設けません。5年後までになにをやりたいとか、10年後までになにをやりたいといった考え方はせず、死ぬまでずっとやっていたいと思える最重要事項を明確にします。
そして、気づきました。わからない・・・。
このサイトが出してくれている例は、すごくわかりやすいです。
僕は、何か世の中に役に立つサービスを生み出したりしたいわけじゃない。
ただ、誰かの笑顔が見ていたい。それだけです。
僕の”ミッション”はそれか!
このGW期間中も高熱にうなされながら、ずっと考えていました。
僕の夢は何だ?何を生み出せばいいんだ?
でも、ようやく気が付きました。そうじゃないな。って。
僕のミッションは、誰かを笑顔にしながら生きる。なんですね。
それがやりたい事のすべて。
人間が生きていくうえで大事なことは、朝、希望を持って目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝と共に眠る。この気持ちだと思います。
麻生太郎さんの名言ですね。
正直、キレイゴトだね。って思う方もいらっしゃるかもしれませんが、キレイゴトって諦めた瞬間に実現しなくなっちゃうと思うんです。
健康で、貧しくなく、争いのない日々を過ごしながら、朝、希望をもって目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝と共に眠る人生。
僕は、自分もそうでありたいし、誰かのそれを手伝えるように頑張っていきたいと思います。