Focus notes

幸せに生きるためには、戦略的コミュニケーション技術が必要なのです。

健全なコミュニケーションの為に必要なこと

こんにちは。出張中です!

今日は仕事っぽいことを書きたいと思います。唐突に。

 

人は皆、善良である

リスクアセスメントを実施する際には、参加者が発するすべての意見について

①政治的な駆け引き

②損得勘定による発言

は、無いことを確認する必要があります。

 

どういう事かと言うと、どんな人の意見も大切にするためです。それぞれの参加者の視点、才能が違うから、違ったリスクが検出されるのであれば、大歓迎なのですが、特定の誰かをこき下ろすツールとして使われては、たまったものじゃありません。

 

複数の人間が意見を発すれば、対立するポイントもきっと出てくると思います。
 
そんなときに、前提として、参加者の存在を承認をしていた場合なら、相手の発言は、改善に資するものとして発言されたものであるから、理解できるまで、その発言の意図を確認していけます。
 
お互いの意見を理解しあえると、同じ事象であるにも関わらず、当事者間でその定義が全く異なっているようなものが見つかるだろうと思います。
 

どうやってみわけるか?

僕は、《個人名》が悪いという意見や、《一般的には》という枕詞がつく発言は、必ず1回質問を帰すようにしています。

なぜなら、このフレーズは、損得からみの言葉である可能性が高いからです。

まず、《個人》が原因のことは、社会では当然のようにあります。ただし、その原因になってる人物が、その職務をやり続けていられる仕組みの方が問題なんです。

なぜ、配置転換しないのか?出来ない理由はなんなのか?

人は得意な分野であれば、一生懸命働きます。もし、問題が放置されたままになるのであれば、配置転換すべきだと思います。

 

《一般的には》は、どこスタンダード?

僕は、大企業では一般的には…とか、うちぐらいの規模の会社では一般的に…という表現は、政治的な駆け引きにしか、聞こえません。

知ってる俺すごいでしょアピール?

仕事押し付け?

そういう動機が見え隠れします。

そんなときには、正確なその情報の出所を示してもらってください。