Focus notes

幸せに生きるためには、戦略的コミュニケーション技術が必要なのです。

まず理解して、理解される

恐らく誰でも知っていると思いますが、コミュニケーションの原則として、まず相手を良く理解して、それから自分を理解してもらうという順番があります。

 

しかしながら、多くの人達は、他人を理解しようともしないし、自分の意見も理解して貰おうとは思っていない状態だなぁと思います。

 

はりぼての飾り物

こうあるべきとか、すべきではないとか、良くべきべき言ってる人がいます。

聞く耳を持っている場合なら良いのですが、自分の主張はするものの、反対意見は一切受け付けない人っていますよね。

なぜ、こんな風になるんだろう?と考えると、自分の人生に対する満足度が、異様に低いという共通点があります。

高学歴なのに…難関資格ホルダーなのに…社会で活躍できていない。

私はこんなに頑張ってきたのに…そうか!きっと世の中が悪いんだ!もっと○○であるべきなんだ!

自分の優秀さをアピールしたくて、全然関係の無いところで、べきべき言い始めます。

自分を許せば見違える

こんな風に、他人やら社会を攻撃しまくっている人に、そもそも人生なんて不条理なんだし…とか、悪意があってやった訳じゃないんだし…とか、ベッキーは他人なんだし…とか言っても、全く通じません。

 

なぜなら、その人がいちばん許せないのは、他人でも社会でもなく、自分なんです。

もっとこうなはずなのに…今の自分はダメだ!って思ってるんです。でも、それを認める事は出来ないので、他人やら社会やらを叩くんです。

だから、株式やら仮想通過やらもそうですし、パチンコやら競馬でもおんなじで、損をすると他人や会社を叩きます。

投資もギャンブルも自己責任だよ。って言うのは、絶対に伝わりません。

そんな人は、何が出来たら変われるかというと、不甲斐ない自分を認め、過去の自分を許した時です。

人間悪いとこばかりではない

現状を認め、過去の自分を許すことができたら、自分の良いところとまでは言いませんが、得意なことや、好きなことがわかりはじめます。

ギャンブル狂の人だって、アル中の人だって、みんな、自分で自分を罰する為にやってるんです。

こういうと、ギャンブル依存性はそういうもんじゃない!パチンコ屋が悪なんだ!とかいう人が出てくるんですが、依存する対象が違うだけで、ギャンブルやめたら酒、酒やめたらタバコみたいに、許せない自分を罰する行動を繰り返します。

依存性の人には、出家をおすすめします

仏教を詳しくは知りませんので、禅宗限定なのかも知れませんが、物事をありのままに捉えるという教えがあります。

これって、凄く大切な事なんです。

自分自身、不甲斐ないし、こんなはずじゃなかったけど、悪いとこばかりではない。

罰する必要はない。

そんな事してる暇あるなら、今、好きなことややりたかった事やろう。

お金ならないけど、その状態でもやれる好きなことやろう。

そう、心に決めてしまえたら、

「あれ?俺なんで13時間と4万円もつかってパチンコなんてやってんだ?4万あるなら音楽教室通おう」

「俺なんでtwittetでひたすらベッキー叩いてんだ?ゲームでもやるか!」

「そんなにタバコ必要?」「酒で2万なら、寿司屋の方がよくね?」

という風になります。

幸せは自分を許す所から

たぶん日本は、平和なんです。自分に不満を抱く暇がある。紛争地域なら、今日生き残れた事に必死だし、生き残れれば感謝だし。

だから、世界経済から沈没しはじめてしばらくすると、よい国になるのかも知れません。